菅 木志雄

knockeye2015-02-14

 東京都現代美術館に、菅木志雄の展覧会を観に行った。

 こういう感じ。枯山水の前に立ったような気分。
 お正月のテレビで観たのだったか、竜安寺の石庭をサルトルがむやみに褒めた後、エリザベス女王が訪ねたのだそうだが、ひとこと「私にはわからない」と言ったそうだ。
 だけど、その「わからない」は、横で愛想笑いしている坊主のご託が「わからない」と言ったのであって、そもそも、庭なんて別に分かるも分からないもないので、お芝居でも映画でも、横でごちゃごちゃ言われるのがいちばんむかつく。庶民の言葉に翻訳すれば「ちょっと黙ってろ、うるせえぞクソ坊主」ということだったのだろう。
 竜安寺の庭を思い出すついでにそんなことを思い出していたんだけど、サルトルは「文化は守られるべきではない」とも言ったのではなかっただろうか。「そもそも何だったのか」と問い始める頃には、それが終わっているのは確かだろうが、そういう問いかけを残した文化は、やはりたいしたものだと言えるのだと思う。要は、その問いかけに対するてめえのろくでもない答えを耳元でごちゃごちゃいうなということ。
 菅木志雄の作品に竜安寺の石庭を連想したのは、同じように問いかけをそこに感じたからだろう。禅問答といわれる禅の公案には問いはあるが答えはない。と言うか、正解はない。仏教と、キリスト教イスラム教の違いはいろいろあるだろうけれど、そのひとつにこの答えのなさがあげられるだろう。仏教には絶対者が存在しないので、答えが啓示されていない。仏教は問いかけであって答えではない。
 1970年代に、菅木志雄から発せられたこれらの問いかけが、いまだに有効であることがとても新鮮に感じられた。外界に向かってどのように問うことができるか。結局、それ以外にアートはないんだろうと思う。