『林檎の木の下で』

knockeye2015-03-17

林檎の木の下で (新潮クレスト・ブックス)

林檎の木の下で (新潮クレスト・ブックス)

 「アメリカン・スナイパー」を映画館のロビーで待っている間、この本を読んでいた。
 アリス・マンローの、スコットランドからカナダに移住してきた祖先が、森を切り開いて自分の家を建てるあたりだったので、クリス・カイルの父親が、「人間には、狼と羊と番犬しかいない」ていうその背景が、あまりにもすんなりと納得できたわけだった。
 旧世界から新大陸にわたってきて、自分で生活を切り開く生き方を選択したひとたちの国だから、イラク戦争もその延長線上にある。
 だから、あの映画を「西部劇」だというのは、もっと深い意味でも正解なんだろう。
 SPA!で坪内祐三がしゃべってたけど、あの砂嵐が襲ってくる前の1950mの射撃は、スローモーションであるけれど、実際の射撃に要する時間と同じにしてあるのだそうだ。そういうあたり、クリント・イーストウッドのすごさだろうな。
 さて、『林檎の木の下で』なんだけど、アリス・マンローが、スコットランドの曾曾曾・・・(読んでいる途中で分からなくなったが)祖父の代から、彼女の父親までつづく一族の歴史を、12の短編に綴った自伝的短編集っていうのか。
 あとがきを読んでいたら、アリス・マンローの作品を「名文でつづったゴシップ」と言った人がいるそうで、なるほどなと思っておかしかった。
 チェーホフの正統な後継者と目されながらも、どこかしら、文学とか文豪とかに「なってたまるか」みたいな意固地さをたしかに感じる。
 下世話といえば下世話だが、下世話なとこを避けて人生とか語っても仕方ないわけだし。
 この人、それから、美人だ。今は年取っているけれど、文章を読んでいるだけで、美人かどうかわかるものか、そういうの研究してみたら面白いのかも。この下世話さは、美人だから書けるんじゃないかって、そう思っちゃうわけよ。
 ふと思いついたけど、ノーラ・エフロンが『首のたるみがきになるの』で、ケネディについて書いている感じに似てるかも。
 それから、鶴見祐輔上野千鶴子小熊英二の鼎談『戦争が遺したもの』の慰安婦のくだりをもう一度読み直してみた。鶴見祐輔は、戦時中は戦地で慰安所の運営に携わっていたし、戦後は、アジア女性基金にも関わった。
 つまり、ここには、現実の一次情報があるわけなんだけれど、話を聞いていて思うには、韓国で騒いでいる「慰安婦問題」には、やはりナショナリズムのバイアスがかかっていると思わざるえない。鶴見祐輔の関わったケースが慰安所の全部ではないだろうし、全部を俯瞰できる人はたぶんいないのだろうが、このケースはふつうに戦地の売春宿という印象を出ない。もちろん、劣悪な環境にはちがいなかったろうけれど。
 それから、村上龍坂本龍一の『21世紀のevカフェ』という昔の本をつらつら読み返していたら、冷戦構造が終結して、経済がグローバル化する流れで、国家の枠組みが形骸化していくと、国家に自己のアイデンティティーを依存しようとするナショナリズムが台頭してくるだろうということが予言的に書いてあった。
 当たった当たらないはどうでもいいけど、日本のヘイトスピーチと韓国の反日は、そういう視点で見ておいてよいものだろうと思う。