週刊現代で中沢新一が連載している「アースダイバー」が面白いのに、今さら気がついた。
今回は三輪神社についてで、慶円という真言宗の山岳修験僧が三輪明神と互為灌頂を交わした鎌倉初期に、神仏習合は思想的なピークに達したと書いている。
・・・鎌倉新仏教にばかり目を奪われていると、日本人の精神史に起こった、このような重大な飛躍を、私たちはうっかり見過ごしてしまうことになる。
法然や親鸞が比叡山を後にして民衆の中に降り立った一方で、旧仏教の側からは日本古来の神々と関係を結ぶことで、民衆の中へと踏み込んでいくものがあらわれた。
それまで支配階級の「教養」にすぎず、舶来の思想にすぎなかった仏教が、この時期はじめて、民衆の生活感情に寄り添う「信仰」になった。
神仏習合については
・・・当時の仏教が、外側の形式を真似ることに忙しく、一般日本人の精神生活に、影響を及ぼすに至らなかった、その間隙を縫って、民族の中に生きつづけたほとんど思想とはいいがたい本能的な力が、ある日突如として爆発した。
などと書いた、白洲正子の一連の文章が再評価の先鞭だろうと思っている。
この再評価は、つまり、幕末から明治初期に吹き荒れた「廃仏毀釈」とは何だったのか、その背景とそれがもたらした結果について、判定を促すものだと私には思える。
廃仏毀釈と神仏分離が、そのまま靖国と国家神道に結びつくのは言うまでもないだろう。鎌倉時代に、それまでは支配階級の教養に過ぎなかった仏教が、神道と結びつくことで、民衆に土着化していたにもかかわらず、国家神道は仏教と神道を引き離すことで、信仰をふたたび支配階級の手元にとりあげたのだった。神仏を分離することで、政教を混交した愚かしさは笑うしかない。
しかし、19世紀の国家主義は、「国民」を創出するために、民衆から土着性を奪っていった。土着的な郷土愛を原理的国家主義に置換していったのは、日本にかぎったことではなかっただろう。
問題は、そうした「愛国心」を強要するのは論外だとしても、すくなくともそれを何か「よいこと」のように思う迷信をいまだに抜けきらずにいることだろう。このさいはっきりいっておくけれど「愛国心」などというものは誇大妄想化した自己愛にすぎない。
アースダイバーについてもうすこし検索してみると、糸井重里の「ほぼ日」で、すでに2005年にとりあげていた。そのなかの「芸術人類学」という中沢新一の文章を読んでいると、人類の脳には「アリストテレス論理」と「対称性の論理」のふたつがあると説かれている。後でリンクしておくので読んでみられたらよいと思う。
つまり、人類には、他の動物たちと同じように、生存のため、社会的な行動のために必要な論理がある一方で、発達した脳のおかげで、社会とはまったく無関係な非現実な幻想としての思考がある。前者は言語の体系でとらえられるのに対して、後者は言語を超越している。両者は系統が別なのだ。
そう考えると、政教の分離がなぜ必要なのかがはっきりと見えてくる。政治と宗教は論理の系統が別なのであり、たまたま寄り添うように見えても、それをひとつの体系にまとめることはできない。「政治と宗教は一致させるべきだ」と、イスラム教徒や国家神道の原理主義者がいくら叫んだとしても、それはそういう宗教にすぎず、そう叫ぶのはまったく自由だが、現実の他者と向き合わなければならない社会の論理においては、当然すりあわせが必要になる。それはとりもなおさず、そこに政治が働いているのであって、宗教の出る幕はない。
政治と宗教を一致させることはできない。その理由は現に違うからである。それ以上の説明は必要ない。違うからいっしょにできない。これほど自明なことはない。
むしろ「政治と宗教を一致させろ」と誰かが叫ぶことができるのさえ、政治と宗教が別だからなのである。おそらく昨日あげたようなヘイトの連中は、自分の中の幻想と、外面の社会的な論理をうまく分けることができないのだろう。幼稚であり、その幼稚さは、ホモ・サピエンスの社会に、成人として生きる要件を満たしていないといえるだろう。