桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち

knockeye2015-05-08

 ここのところずっとそうだが、GWは実家に帰る。
 京都国立博物館で開かれている「桃山時代狩野派 永徳の後継者たち」という展覧会を観た。この展覧会は余所に巡回しない。何年か前の「狩野永徳展」の続編ということらしい。
 備忘のために目録にもあった狩野派の系図を貼っておく。

 狩野派の元祖は室町幕府の御用絵師だった正信で、その後を継いだ元信が工房システムを確立した。狩野永徳はその孫で、信長、秀吉の寵愛を受け、桃山時代のスターとなった。
 今回の展覧会は、その永徳亡き後の狩野派一族による、いわば、年代記ともいえるだろう。永徳の急死をうけて家督を継いだ光信も早死にしてしまい、幼くして宗家を嗣いだ貞信を、宮廷絵所預だった孝信が後見することになる。そのへんの、豊臣、宮廷、徳川の権力をめぐる緊張のなかで、絵師たちがどうやって生き延びていったか。徳川幕府の御用絵師となる探幽は孝信の子だった。
 永徳と光信の絵の違いは、いわれてみれば、光信の方が繊細かなという程度だが、永徳と探幽の絵の違いは素人目にもはっきりとわかる。永徳が桃山の豪快さだとすれば、探幽には江戸の趣味性を感じる。
 戦国時代から徳川初期までの激動の時代を、狩野派の歴史と重ねて観る感じは、ナタリア・ギンズブルグの『マンゾーニ家の人々』みたい。好敵手となる長谷川等伯との確執もあるし、これは大河ドラマにしたら受けまっせ、籾井さん(それどころじゃないか)。
 狩野派の絵師で個人的にいちばん好きなのは、「雪汀水禽図屏風」「老梅図襖」を描いた狩野山雪、系図でいうと「山楽」の下にもう一本棒を引くことになる。狩野山楽と海北友松(‘かいほうゆうしょう’と訓みます)はともに浅井長政旧臣の遺児で、浅井家滅亡後、豊臣秀吉に絵の才能を見いだされ、絵師の道を歩んだ。そのため、関ヶ原以後は徳川ににらまれたこともあったようだ。
 狩野山雪狩野山楽の養子だが、おなじように早く父を亡くした境遇にシンパシーを感じていたかもしれない。
 こういうサイドストーリーは絵とは関係ないかもしれないけれど、そう知りながら観るのと、知らずに観るのとでは、また違う味わいがあると思えばよいだろうと思う。「伝 淀殿像」も展示されていました。
 今回の展覧会では、狩野山楽の「槇に白鷺図屏風」が新発見だそうだ。個人的には「山水図襖」がよかった。
 しかし、今回、なんといっても楽しかったのは、第四章「にぎわいを描く 
百花繚乱の風俗画」の一画。山楽や内膳の「南蛮図屏風」もすばらしかったが、長信の手になる、国宝「花下遊楽図屏風」。駕籠の横に控える侍が、踊る女たちを見つめる目のスケベったらしいこと。

絵はがきでは確認できないから、実物を見るか、もしくは、想像で補ってください。
 また、作者不詳、京都・醍醐寺の「調馬図屏風」。色とりどりに着飾った騎馬人物たちの、リズミカルな配置も見事だけれど、その目線がさ、ひげを蓄えたむくつけき武者と、まだ前髪の残る若侍との、追いつ追われつ、あるいは走り、あるいはふり返りつつ、絡み合っている目線は、みだらとしか言いようがないならまだしも、「みだらに見えましたか?。ただの調馬風景ですけど、何か?」みたいな空とぼけた感じが、余計になまなましい。
 このところいそがしくて訪ねた展覧会の感想なども書きそびれている私だけれど、国立新美術館で開催中のルーヴル美術館展「日常を描く 風俗画にみるヨーロッパ絵画の神髄」という展覧会で観た、風俗画の数々を思い起こした。
 あの展覧会、めだまはそりゃ、フェルメールの「天文学者」だろうけれど、展覧会全体としては「風俗画」というジャンルにスポットを当てている。
 西洋絵画のアカデミズムにおいてはずっと、絵は何を描くかによってランク分けされてきた。うろ覚えだけど、宗教画、歴史画、肖像画、風景画、静物画の順だったかな。風俗画はまともに取り上げる価値すら認められていなかった。
 ワタシ、それで思い出したんだけど、Bunkamuraで、これもフェルメールの「地理学者」を観たときのことなんだけど、アドリアーン・ブラウエルという画家の「苦い飲み物」っていう絵を観てすごく気に入ったわけ。
 どんな絵かというと、背景も何もなく、ひとりの男が、なにか苦いものを飲んだんでしょうな、プハーって感じで顔をしかめてる、ただそれだけ。
 面白いけど、この絵を壁に飾って、それでどうだってんだろうと不思議だったんだけど、よく考えたら、こういうのが面白いに決まってるじゃないか。テレビで言えば‘バラエティ’で、バラエティがいちばん面白いもん。そのころテレビもラジオもないんだし、どこかの男が「うわ、なんか苦いもの飲んでるよ、こいつ」ていう絵は、面白かったに違いない。
 そういうことが理解できなかったわたしはどうかしてたなと思いました。アンドレ・マルローはこう書いているそうだ。「オランダは皿に置いた魚を描くことを思いついたのではなく、もはや魚を使徒たちの食事にはしないということを思いついたのである」(‘Le voix du silence’Paris,1951,p.468)
 そのときの一枚で気に入ったのがこちら。

ジョゼフ=マリー・ヴィアンの「アモルを売る女」。って、‘売ってんのかい?!’って、そういうボケですわな。