片岡球子展

knockeye2015-05-22

 東京国立近代美術館片岡球子展が開かれていた。先週で終わっちゃった展覧会について今さら書くわけだけれど、なにせ過労死寸前ですから。
 この展覧会については奈良美智がつぶやいていた。
「竹橋の国立近美で片岡球子展を観てきた。常設も観た。やっぱ自分は明治以後、大阪万博以前の日本人画家に特別なシンパシーを感じる・・・。」
https://twitter.com/michinara3/status/598372406051217409
 「大阪万博以前の」って書いているのは、常設展で「大阪万博1970デザインプロジェクト」という展覧会も同時開催されていたからでしょう。
 それからついでにいうと、「竹橋の」っていうのは、東京国立近代美術館については、「竹橋の」って、枕詞みたいに言っとかないと、まちがって木場公園の方に行っちゃうんだよね。奈良美智もそうなのかな、私の場合はそういう勘違いがすごいので。
 「明治以後」って書いているのは(と、奈良美智の言葉に寄せて書くのは少し強引だが)小林古径が、片岡球子の絵について、「あなたは、みなから、ゲテモノの絵をかく、と、ずいぶんいわれています。今のあなたの絵は、ゲテモノに違いありません。しかし、ゲテモノと本物は、紙一重の差です。あなたは、そのゲテモノを捨ててはいけない、自分で自分の絵にゲロが出るほど描きつづけなさい。そのうちにはっといやになってくる。いつか必ず自分の絵に、あきてしまうときが来ます。そのときから、あなたの絵は変わるでしょう。薄紙をはぐように変わってきます。それまでに、何年かかるかわかりませんが、あなたの絵を絶対に変えてはなりません。(中略)手法も考え方も、そのままでよろしいから、自分のやりたい方法で、自分の考える通りに、どこまでも描いてゆきなさい」と、1942年に言ったそうだ。
 山種美術館で昔観た小林古径の展覧会では、初期の頃の、まだ横山大観とかの影響を抜け出せない、朦朧体もどきの画風から、大英博物館で、伝顧凱之《女史箴図》の模写に取り組んだときに、東洋の絵の線の美しさを確信した40歳の頃までの変化が感動的だった。小林古径は自分の画風を確立した経験から、この言葉を言っていると思う。
 先週、東京芸術大学大学美術館で観た「ダブルインパクト」に横山大観の絵が展示されていたが、いわゆる‘朦朧体’とは、実際には横山大観のどういう絵を指すのかは、案外、曖昧なんだなと気がついた。横山大観横山大観で画風を模索していたのだろう。ほとんど表現主義とでも言いたくなるような絵もあった。そこまでいくと、単に‘西洋コンプレックス’と切り捨てることもないけれど、それでも、ざっくり言ってしまうと、‘西洋コンプレックス’にすぎなかった。
 片岡球子の絵は

この富士の絵一枚あれば言葉は要らない。