「海街diary」

knockeye2015-06-14

 是枝裕和監督の「海街diary」は、堂々とした風格をそなえた、美しい街のような映画だ。古典の作家たちが、おそらくそう知っていたように、どんなに小さく私やかな事情を描くにしても、そこに美しさが宿るとすれば、その美しさは数学的であり、したがって音楽的であるしかないことを、この人もまた確信しているようだ。
 たとえば、‘海街diary’のロゴが浮かぶ空の色は、海べりの街の晴れた朝、ときおり空があんな風に輝いている時があるが、あの空の色でなければならなかったというのは、この映画全体、どころか、その余韻までふくめたオーケストレーションとして正確な表現だという意味だ。
 その射程の長い描写の正確さと、部分と全体の調和した、響き合う音の深さが、この映画の美しさに風格を感じさせるのだろうと思う。
 オーケストラに喩えたついでにいえば、その旋律の部分は、綾瀬はるか長澤まさみ夏帆広瀬すずの四姉妹だろうし、その通奏低音の部分は、彼女らが暮らす海べりの街の、うつろいゆく季節だろう。そして、いっそう音楽に似ているのは、こうしてめぐる季節が、けして同じように繰り返されるのではなく、一度過ぎれば二度と帰ってこない、失われゆくものだということが、彼女らが住む古い家や庭、散りばめられる人の死や別れによって、登場人物にも観客にも常に意識される一回性のその切なさだろう。
 こうした古典的な美しさを、「誰でもできる」とか言うのは絶対ウソだ。おそらく、是枝裕和監督にしても、これほどの作品がもう一度できるかどうか、ちょっと見くびってるみたいで申し訳ないけれど。去年、カンヌで受賞した「そして父になる」もよかったけれど(たしかによかったな、あれも)、今回のはあれよりもっと豊かだと思う。
 というのは、大竹しのぶ・母と綾瀬はるか・娘の亡父を巡る関係が、堤真一の存在で立体的になる上に、広瀬すず・腹違いの妹とその亡くなった母の存在が、また別の陰影を加える、その一方で、その広瀬すず夏帆・三女は父をめぐって別の物語を刻んでいる、というように、四姉妹の紡いでいく物語が幾重にも重層的なのである、時間的にも、空間的にも。
 そして、もうひとつ、ふれておきたいのは、是枝裕和監督自身、インタビューで語っているように、こだわって丹念に描写したという季節感の表現だけれど、それを実現したのは撮影監督を務めた瀧本幹也のカメラだろう。ロケーションとなった鎌倉の四季はもちろん美しいけれど、誰が撮ってもああいう風に写るというわけにはいかない。夏と冬では女優の肌さえはっきりと違う。
 素晴らしいキャストも是枝作品の財産だろう。樹木希林は、「歩いても、歩いても」の時からの常連だし、風吹ジュンリリー・フランキーは「そして父になる」、広瀬すずと淡い恋を演じる前田旺志郎は「奇跡」のあの子だし(大きなったわぁ)。
 ふり返ってみれば、是枝裕和監督はずっとこういう丹念な映画作りをしてきた人だけれど、それでも、状況、キャスト、スタッフ、原作といった要素が、これほどみごとに噛み合うということは、そう何度も起こりそうにない気がする。名作に特有の余韻が後を引いた。
「過去が書き替えられていくことが、そのひとの成長になっていく」―『海街diary』是枝裕和監督インタビュー [T-SITE] 「過去が書き替えられていくことが、そのひとの成長になっていく」―『海街diary』是枝裕和監督インタビュー [T-SITE]
6・13公開!映画「海街diary」の是枝裕和監督が来福しました - 天神サイト 6・13公開!映画「海街diary」の是枝裕和監督が来福しました - 天神サイト