GACKTのインタビュー

knockeye2015-06-18

 今週の週刊SPA!で読んだ、GACKTのインタビューが面白かった。この人、今、インドネシア、フィリピン、マレーシア、香港、など、複数の国で暮らしている。日本には「パワーを感じない」のだそうだ。
 この「パワーが落ちてきてる」ていう日本のとらえ方は正しいと思う。最近よく耳にしたり目にしたりする「右傾化している」とかいうのは、「ほんとかな?」って苦笑いするところがある。昔からこんなもんだったと思うんですよね。むしろ、自民党がいったん下野して、民主党が政権を取ったにもかかわらず、どうしようもない連中だったということがばれて、今まで、自民党のやることになんでもかんでも反対と言っておけば、それで、「リベラル」でいられた連中がアイデンティティを失ってしまったにすぎないと思う。
 わたくし地デジ化以来、テレビを見なくなってしまったので、たまに実家に帰ったときくらいしかテレビを見ないんだけど、そのたまたまみたテレビで、久米宏が、某有名女性編集者から「自民党の言うことは何でも反対と言っとけばいいのよ」と言われたと話していた。この国の「リベラル」の底の浅さに苦笑した。
 もし、学問の徒を自認しているのなら、これといった根拠もなく、「右傾化」なんていう言葉を振り回すのは、どんなものだろうか。そういう「レッテル」あるいは「アドバルーン」で大衆を扇動できた時代はすでに過ぎている。
 先月末の神奈川新聞の記事に、歴史学者の団体(学者の「団体」ってでも何するためにあるのかね?よい印象は持たないけどね)が、「慰安婦問題について、旧日本軍による加害の事実に向き合うように求める声明を発表した」とあった。が、ほぼ黙殺されているみたい。
 そりゃ申し訳ないけど、朝日新聞のあの記事だけど、あれだけ真っ赤なウソを三十何年間放置してきたのは、朝日新聞だけではなくて、歴史学者もまた黙認してきたと、世間一般に思われているわけですよ。
 三十年以上ウソを放置してきておいて、「事実に向き合え」って、どの口が言うんだって話ですわ。
 最近は、安保法案が違憲だ合憲だでまたもめてますが、政治家、学者、メディアのどれであろうが、民意の信用を失った時点で、権威は失墜するわけです。
 メディアの人は自分では気がついてないかもしれないけれど、今は、朝日新聞っていうだけで、ちょっと斜に構える感じになっている。「新聞記者の言うことだから・・・」の後に続く言葉が昔とは違ってきている。
 学者っつったって、小保方晴子も学者だろ?。学者だから?。だからどうしたっての?。
 この声明にしても、なぜ今なのっていえば、朝日新聞の記事の撤回によって、学者「団体」が既得権を失うのをおそれている風にしか見えないんですよね。
 三十年以上、ウソを放置してきたんですよね。そういう人たちの声明って信頼得られると思いますか?。
 GACKTの言葉の方がホントだと思う。「右傾化」とかじゃないね。「パワーが落ちてる」。正しい言葉を発せられるってことがパワーがあるってことですよね。
 新国立競技場にしても、ザハ・ハディドのあれを実現するパワーがないだけ。雑誌の中吊りなんかに安藤忠雄をシロウト呼ばわりしているのがあったけど、安藤忠雄みたいな国際的建築家がシロウトなら、この国に玄人の建築家なんていない。むしろ、この国の建築業界(一般には土建屋と呼ばれているし、その方が似つかわしいだろう)が、談合、丸投げ、ピンハネの玄人であって、建築そのものはたいしたことないって世界に喧伝している。それだけのことだろう。