自民党の「日本国憲法改正草案」にすでに表現の自由は制約されている

knockeye2015-06-27

 2012年に自民党が発表した「日本国憲法改正草案」は、表現の自由を保証する第21条に、第2項として、「前項の規定にかかわらず、公益および公の秩序を害することを目的とした活動を行い、ならびにそれを目的として結社をすることは認められない。」とする一文を付け加えた。
 「公益と公の秩序」なんて曖昧な概念は公権力の胸先三寸で自由自在だから、自民党はこの時点ですでに、言論統制の意思があった。
 戦時中には、新聞紙法を利用して軍部が報道を完全に統制していた歴史があるのだから、百田尚樹が「文化藝術懇話会」で、「沖縄の新聞は潰さなけれならない」と発言したことは、冗談では済まされない。経団連に広告差し止めの協力を持ちかけるといった具体案まで踏み込んで議論されているのは看過できない。

 保阪正康半藤一利の『そして、メディアは日本を戦争に導いた』には、「新聞のひとつやふたついつでも潰せる。出先の記者なんて寄生虫だ」という言葉が紹介されている。今にも自民党議員がいいそうな言葉だが、昭和15年の陸軍報道部松村秀逸中佐の言葉だ。
 保阪正康は、軍部が国民を統制していった方法を4つに分析している。
 1つは、教育。
「ススメ、ススメ、ヘイタイ、ススメ」、「ニホン、ヨイクニ、エライクニ」などという教科書や、天皇の御影を掲げたり。教育勅語とか。
 2つは、法制。
治安維持法
 3つは、暴力。
特高憲兵などの官の暴力、右翼の民間の暴力。
 4つは、報道。
 以上の4つは、今の政権のやり方にほぼ当て嵌まる。
 1つは、国旗掲揚、国家斉唱の強要。
 2つは、すでに言った。
 3つは、いわゆる国策捜査と、在特会
 4つ目のものが、今回、百田尚樹が「文化藝術懇話会」で示唆したことである。
 「文化藝術懇話会」に続いて、「朝まで生テレビ」のドタキャン、小林よしのりを招いての勉強会の中止など、すでに自民党内に、表現の自由について、後ろ向きな思考が支配的であることはまちがいないだろう。
 外交、経済に課題は山積であり、くだらない国家主義ごっこにうつつを抜かしている場合ではない。現実的であれ。わたしが政治家に望むことはそれだけである。