その道はいつか来た道

knockeye2015-06-28

 渋谷で盛り上がっている若者たちに水を差すようで悪いけれど、おじさんたちはその光景はいつか見た。何度も見た。今回だけは違う、なんてことはない。
 デモに行くより選挙に行け。投票率はあいかわらず最低ラインをさまよっている。
 何がバカバカしいかはよくわかる。百田尚樹がバカすぎる。おじさんは関西人なのでよく知っているが、百田尚樹というあの男は、素人参加番組から放送作家になった、ただのオチョウシモノで、「ただの冗談だった」は、単に、言論人としてだけでなく、ひとりの大人として最低だ。
 オトナがあまりにバカを晒している場合、若者が怒るのは当然だ。
 しかし、敢えて言うけれど、あなたたちもあっという間に、あんなオトナになる。なぜなら、あなたたちが所詮あんなオトナにしか対峙できないから。叫ぶだけで議論を深めようとしないから。同意見の仲間の数だけを集めて安心しているから。それは、実は、あなたたちが糾弾しているオトナたちのやり方そのままだから。
 「戦争反対」、「戦争はいやだ」というだけで、戦争は止められない。
 戦争は今も現に世界のあちこちで行われている。その戦争に私たちは無関係なのか?。自分たちの国さえ平和ならそれでよいのか?。もしそう思っているなら、それは正確に言えば、「戦争反対」ではないよね。自分たちさえ安全なら「戦争賛成」になりかねないわけだから。
 日米安保って、つまりはそういうことじゃないの?。現実に日本の平和を守ってきたのは、日米安保だよね。日本は安全保障政策をアメリカに丸投げしてきた。平和憲法はその言い訳に過ぎない。
 安全保障政策を丸投げしているアメリカの戦争に私たちは責任がないと言えるか?。もし、日本が平和国家を目指すと言うなら、独自外交と独自の安全保障政策を手にするべきではないかという議論は間違っているか?。
 日米安保はそもそも米ソ冷戦をその地政学的背景としてきた。ソ連が崩壊して、中国が膨張政策をとっている今、その地政学的バランスは大きく揺らいでいる。
 だから、安全保障政策も現実に即したものに変えていかなくてはならない。日本のこれからの安全保障政策をどうすべきかは、この国に住む者にとって重要な政治テーマでないはずがない。今、国会で論議されるべきことは、そうしたごく現実的なテーマであるべきなのだが、実際にはそうなっていない。
 国立大学に国旗を掲揚させようとか、みんなで靖国に参ろうとか、現実の政治とは何の関係もない、国家主義の妄想にすぎないことがさも政治であるかのようにはびこり始めている。
 で、何がむなしいかといえば、それに抗議する若者のスタンスも、結局、70年代の焼き直しにすぎないと見えることだ。
 極右のデストピア的妄想と、極左ユートピア的妄想の、果てしなく現実から乖離していく茶番劇に、その後の世代は愛想をつかした、その同じことをまた繰り返してほしくないと思う。歴史に学んで、曇りない目で現実を見てほしい。
 あなたたちが、今、主張していることは正しい。しかし、それは、バカをバカだと言っているにすぎない。バカがバカなのはバカでなければわかる。バカでなければわかることを、デカイ声で叫んでいるとバカに見える。現実の政治課題はそのバカの周辺にはない。ホントの政治テーマをないがしろにして、バカとたわむれるな。
 叩いても誰からも文句が出ない相手を叩くのは楽だ。今、あなたたちがやっていることはそれにすぎない。そして、70年代の若者が行き着いた先は、私たちはすでに見たはずです。