蔡國強、ポール・ジャクレー

knockeye2015-07-18

 横浜美術館に蔡國強を観にいった。北京オリンピックの開会式をプロデュースした、火薬を使ったパフォーミングアーツの人で、吉岡徳仁の展覧会でも同じようなことを思ったが、すでに美術館の枠を超えて、美術館の外に表現の場を持ち得ている人が、あえて美術館で展覧会をすることに積極的な意味があるのかどうか。
 ということは、つまり、美術館という形式が蔡國強や吉岡徳仁をとらえきれるのかという意味でもある。
 これは、一見、美術館の限界に見えるけれど、表現者の側から見ると、自分たちの表現をファインアートにどう定義していくか、自分たちの表現で、ファインアートの定義をどう上書きしていくか、という切実なチャレンジでもある。でなければ、ちょっと変わった人で終わってしまう危険性は充分にある。
 横浜美術館の今回の展示では、ちょっと点数が少ないので、即断はできないが、今回のだけ見ると、蔡國強の‘絵’は、ジャクソン・ポロックのよくない頃の絵に似ていると思った。具体的にいえば、ブラックポーリングの頃。
 無意識と偶然性を捨てて、意識と感覚で結果を支配しようとして、なんとも退屈な、といって悪ければ、自分自身を模倣しようとするかのような、見え透いたものになっていた。
 早く死んでしまったので、もし生きていれば、その後、どういう展開を見せたかわからないのだけれど、晩年の一時期は、初期の頃の躍動感は影を潜めていたと思う。
 ただ、蔡國強がそうだというのではない。なぜなら、この人の場合は、美術館に展示される‘絵’は、表現全体の重きを為す部分ではないと思われるから。
 私としては、もっと無意識と偶然性のもたらす驚きに素直であってよいのではないかなと思った。
 現在、横浜美術館でされている展示の中では、むしろ、常設展にある、ポール・ジャクレーの小特集が面白かった。
 渡邊庄三郎という人が、江戸の浮世絵を支えた、刷り師、彫り師の技術が失われていくことを憂えて、新版画という運動を起こしたことがある。
 伊東深水、山村耕花、川瀬巴水、橋本五葉といった画家たちがこれに応じていく、その中に、何人か、西洋の画家たちもいた。ポール・ジャクレーもそのひとり。
 千葉市美術館で川瀬巴水の展覧会を観たときにも、何点か観ていたのだが、そのときは数が少なくて、こんな面白い人とは気がつかなかった。
 横浜美術館の常設展は写真OKなので、いくつか撮ってきた。



 三枚目の《清馨さん》は、一枚目の《サイパンの娘とハイビスカスの花》を手にとって見ている、このへんのユーモアとか、二枚目の《めざめ、サイパン島》の、とらわれていない感じ、表現の自由さを見るとき、この後、同じサイパン島を舞台に藤田嗣治が描くことになる戦争画の世界へと、国を引きずっていった連中の愚かさに、改めて憤りを覚える。
 昭和モダニズムのこの時期、こんなにも明るかった自由を捨てて、なぜ愚かしい戦争へ突っ走ったのか。国家主義者の妄想を哀れまざるえない。
 今でも、差別主義者が「殺せ」とか街中で徒党を組んで叫ぶのは、「表現の自由」を盾に取り締まりもせず、ろくでなし子という人が自分の性器をデータ化して配信したら則逮捕というのは、価値観がまったく転倒していると思わざるえない。
 性器をさらすのが恥ずかしいのは、ただに習慣にすぎない。昔の男女は、公然と手をつなぐのさえ恥ずかしかったのだから。
 差別主義者の暴言を放置するのが恥ずかしいのは、そうした暴力を目の前にして、見て見ぬふりをするようなものたちが権力をにぎっている未開社会の一員である恥ずかしさだ。このふたつの恥ずかしさはまったく意味が違う。
 明治の国家主義は、それまでの封建社会をひとつの国に開いていこうとする運動だった。そののちの国家主義者は、日本国民という意識を、たとえば、沖縄の人たちや朝鮮の人たちを分断する差別意識へと変えていってしまった。同じ国家主義でも、明治と昭和では意味が真逆なのだ。
 昭和の国家主義者は国を滅ぼした。当然、彼らにこの国の意志決定に関与する資格はない。いまだに「愛国」などという価値観を正義のように語るものがいるが、唾棄せざるえない。
 国を愛するも女を愛するも誰に指図されるいわれもない。人の勝手だ。ほっとけ。