- 作者: 藤森照信
- 出版社/メーカー: 六耀社
- 発売日: 2012/04/20
- メディア: 単行本
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全体の構成としては、まず、藤森照信とお茶、茶室との出会い。次に、縄文の縦穴式住居、弥生の高床式住居から始まる、日本の建築史と茶室との関係。それが、桂離宮、小堀遠州あたりで一旦途絶えて、一気に近現代まで飛ぶ。
第五章 「建築家の茶室」にあたるのだが、この章がとても面白かった。
桂離宮に小堀遠州がどのていど関わったかは、いまだに謎なのかもしれないが、千利休、古田織部、小堀遠州と継承されてきた、徳川以前の茶の、伝統と言うより意識というか‘イズム’が、ここでいったん途絶えたのは、桂離宮が、近代になって発見されることから逆に証明されるのだろう。
この発見者としてブルーノ・タウトが有名なのは知っていたが、なぜ、ブルーノ・タウトが桂離宮にそれほど感動したかは、ながく西洋建築を限定してきた歴史主義の行き詰まりがあり、そこから抜け出そうとする先駆者にとって、脱歴史主義の美しい実例として、桂離宮が存在したからだろう。
ブルーノ・タウトが桂離宮の背景にある、茶の美意識を知ってものを言っているとは思えないが、しかし、彼を感動させているのは、まちがいなく千利休以来の茶の美意識であるのがおもしろい。
一方で、日本人の建築家たちもまた、茶室を発見する。
1837年に「茶室建築に就いて」を書いた武田五一、藤井厚二の聴竹居、そして、堀口捨己へと続く、日本における茶室研究の流れが、西洋建築の、アール・ヌーヴォー、デ・スティル、バウハウスというねりと奇妙に、「錯綜している」、そのありようが面白かった。
前に、鎌倉の美術館で、石元泰博というアメリカ生まれのカメラマンが撮った桂離宮の写真を見たが、そのとき、私が見たものも、発見の感動だった。17世紀初頭の日本に、モダニズムが存在したことを発見することが、なぜ感動的なのかといえば、何ものにもとらわれない自由な美の表現が、300年後の私たちにも圧倒的な美意識として感応されるということが、民族主義、歴史主義にとらわれた差別的な意識の敗北を、無言のうちに、しかも、美しく明るく軽やかに宣言しているからだ。
美しさに民族も国境もない。
巻末の、磯崎新との対談も面白かった。
以前、ワタリウム美術館の展覧会で見た‘〈 間〉展 日本の時空間 1978’への言及もあった。磯崎新というこの人はやっぱり面白いと思う。
この対談を読みながら、思い浮かべていたのは、大阪万博のときに、丹下健三がデザインしたお祭り広場と、その天井を突き抜けて立っていた、岡本太郎の太陽の塔の姿だ。あれは70年代の日本のパワーを確かに示していただろう。
磯崎新は、新国立競技場についても声明文を書いている。
最近の報道によると、仕切り直しになった新国立競技場について、「周囲の景観に調和」とかなんとか、もっともらしい言いぐさが、まかり通りつつあるようだが、なら、新しく建てるな!。元のヤツがいちばん調和しとるわ。ザハ・ハディドの案は、あの違和感がよいのよ。
その「調和」云々は、何が言いたいのかは、バカでなきゃわかる。要するに、安物を造って高く売る、その布石だろ?。この土建屋行政は、前のオリンピックから今回まで、たしかに一貫している。