安倍首相のたとえ話と右傾化について

knockeye2015-07-30

 集団的自衛権を説明する安倍首相のたとえ話が分かりづらいそうだが、もし、分かりやすかったとしても、譬えは所詮、譬えにすぎない。譬えが分かりやすければ真実ということにはならない。
 例をあげると「右傾化」という言葉があるが、これも実は、言い古された譬えにすぎない。ホントに右に傾いていたら、脊椎湾曲の疑いがある。ところが、言い古されているというだけのことなのに、「右翼、左翼」というその譬えを「分かりにくい」という人はいない。もしも、更につっこんで、その「右、左」って何のことなんですか?、と尋ねてみたら、それを分かりやすく説明できる人がどれだけいるだろうか?。もちろん、これは修辞疑問である。いるわきゃない。なぜなら、これは、東西冷戦の時代に、便宜的に使われていた表現にすぎない。そのときでさえ、いわば、符牒にすぎず、言葉としての内容をともなってない。
 それを、東西冷戦なんて、とっくに、とっくに終わっている今に至ってまだ、「右傾化」とかいう言葉で何かを言い表すことができると考えているとしたら、言葉に鈍感すぎるだろう。
 「左だ、右だ」で世界を把握したつもりになれた時代は遥かかなたに過ぎ去った。その、今、東西冷戦を前提とした安全保障政策を高いコストを払って維持している異常になぜ気がつかないのか?。流動的な状況の変化に、柔軟に対応できる安全保障政策のあり方が、議論されて当然ではないのか?。
 安倍首相のたとえ話が分かりにくいのは、もしかしたら、「右だ、左だ」のたとえ話を分かりやすいと思っている、そのアタマに問題がある可能性もある。
 最近の官邸前のデモの報道を見るにつけ、脱力してしまう。反原発のデモはわかる、反差別のデモも分かる、しかし、今のデモはいったい、何が言いたいの?。
 村山富市って、あの人、自社さ政権で、自分が政権の座に着いた途端に、それまで「違憲だ」って言ってた自衛隊を「合憲だ」って言った人なんですよね。民主党は、沖縄の基地を「最低でも県外」つって、300を超える議席を獲得していたのに、つまり、私も含めて、国民の圧倒的な支持を集めていたのに、政権を投げ出して逃げたんですよね。
 責任のない立場なら、何でも言える。政権についたときに、何やったかで、評価すべきじゃないですかね。
 だから、今のデモが「安倍は憲法改正するって言ってたのに、解釈改憲するのはけしからん」って怒ってんなら、意味わかるんですよ。「平和憲法を守れ」って言うなら、それは、「日米安保を維持しろ」ってことなんで、だったら、米軍との同盟強化を意味する「集団的自衛権の容認」に怒ることはないんですよ。意味わかんないです。
 どうなんだろう。アメリカの立場から見たら、今の「右と左」のいがみ合いは、飼い犬同士の喧嘩みたいに見えるんじゃないだろうか?。吠えグセのある犬とやたらに卑屈な犬が噛み付き合ってる。自分たちの現実を自分たちで分析して、まともな政策論議ができないものだろうか?。そうあるべきだと思うのだけれど。