「戦後70年談話」の「積極」と「平和」

knockeye2015-09-03

 ちゃんと目を通していなかった、安倍首相の戦後70年談話を、通しで読んでみた。
 しごくまっとうと思う。目を皿のようにして探せば、ひとつやふたつのアラは出てくるかしれないが、そういうことに労力を費やすタイプではない。
 この談話の直後に、村山富市が、「何を言っているかまったくわからない」と記者会見しているのを、実家のテレビで見たが、それはおかしい。多分、最初から、そう発表するつもりだったのだろう。結局、55年体制における「社会党」とは、そういった茶番にすぎなかった。
 戦後70年談話で、政権の支持率もやや回復したそうだ。おおむね評価されたとみていいのだろう。
 第三者的で当事者的でない、といった旨の、指摘も目にしたが、70年以上前の歴史に、芝居がかった「当事者的」な態度は、偽善的なだけでなく、その後の70年を軽んじすぎているだろう。今の私たちは、戦争の当事者であるより、多くは、戦後の当事者であり、戦前、戦中に比べて、戦後の歴史は重くない、と誰かが言ったとしても、私たちが背負わされたその戦争という十字架は、戦後日本という姿をしている。
 戦争に至る70年と、戦後の70年を比べれば、私は迷わず戦後の70年をとる。それでも、その戦後70年をバラ色の日々と懐かしむ気にはなれない。ただ、そうした歴史を振り返り、日本の今後を考えると、「積極的平和主義」という方向それ自体は間違っていないと思う。
 しかし、何度も言うように、その一方で、党の議員が「八紘一宇」とか、「沖縄の新聞はつぶせ」とか、「戦争に行きたくないのは利己的だ」とかの発言を繰り返していては、ガバナンスに不安を感じずにいられない。
 また、北方領土をめぐるロシアとのやりとりで露呈したように、「積極的平和主義」を実践に移すには、政治家も官僚も、その能力があまりにつたない。「集団的自衛権行使容認」くらいのことで、国民に不信の念を抱かせるのは、そのつたなさでもあるだろうが、戦後の自民党政治は、「積極的平和」というより「積極」と「平和」につねに分裂してきたことを、国民が理解しているということでもあるだろう。安倍首相が掲げる「積極的平和」が、たんに「平和」を捨てて「積極」に走るだけのことではないのか、と疑いをもたれているし、根拠のない疑いとまでもいえないだろう。
 北方領土問題と沖縄の基地の問題は、第二次大戦の戦後処理の問題であるわけだから、それは戦後の問題そのものであるという意味で、「積極的平和」という連立方程式の具体的な解は、この二つの問題の解決の仕方にあるだろう。この二つの問題が未解決で先送りされたままなら、「積極」と「平和」は依然として分裂したままだということなのだ。安倍首相が「積極的平和」に説得力を持たせるつもりがあるなら、この二つの問題を解決して見せなければならないだろう。