戦争は外交の敗北

knockeye2015-09-08

 戦争って何でしょうか?。
 私は、戦争は外交の敗北だと思うんです。
 国民の生活を守るために、政治家や官僚が、外国とさまざまな交渉や駆け引きをするでしょう。その駆け引きにことごとく負け続けたとしたら、どうなるでしょうか?。戦争しかない、ということはないんです。ただ、そういう時、もっとも戦争の危険性が高まると思いませんか?。
 「戦争反対」「憲法を守れ」で、連日デモをしているみなさんに、水を差すようで申し訳ないけれど、平和憲法が平和を守ってるんじゃないんです。戦争を放棄なんてしてる国なんてほとんどないけど、戦争を放棄していなくても、平和を維持するための外交戦略があり、友好国と健全な関係を築いていれば、平和を維持できる。
 というより、平和を維持する外交戦略もなく、友好国と始終衝突していたら、戦争放棄を謳った憲法があったとして、それが何の役に立ちますか?。ちょっと冷静に考えて欲しいんですけど。
 じゃあ、今、日本が近隣諸国とどんな関係か、ぐるりと見渡してみましょうか。
 ロシアとは、北方領土問題、北朝鮮とは拉致問題、韓国とは慰安婦問題、中国は仮想敵国、オーストラリアとは捕鯨問題、そして、アメリカとは日米安保と沖縄基地問題で揉めている。
 この状況に、何らかの、どんなものでもいい、日本の外交ポリシーといえるものが見えますか?。この状況を放置することこそが、戦争の危機じゃないかと思うんですけど。
 「集団的自衛権行使容認」については、韓国の朴薫恵大統領も理解を示しています。国際社会でこれを問題視している国はほとんどない。なぜ騒がなきゃいけないのか、私には理解できない。
 法案が違憲かどうか判断するのは最高裁です。元総理も、元最高裁判事も、ましてや、大学の先生も関係がない。だから、今現在、「集団的自衛権行使容認」は、憲法違反じゃない。「論理的に言って」憲法違反じゃないんです。もし、憲法違反だと思うなら、先日の堀江貴文の意見のように、法的手続きを通して、違憲を訴える道はある。「集団的自衛権行使容認が違憲だ」というのは、今のところ、あなたたちの見解すぎません。あなたたちの見解に、どのような権限もありません。
 確かに、今の政権の外交はおそろしくつたない。戦後70年、防衛のみならず、外交もアメリカに丸投げしてきたツケだと思います。しかし、私の目には、「戦争反対」のデモは、今の政権の外交レベルと全く同じにしか見えません。不安定要因をひとつつけ加えているだけです。その誘因が政権側にあるにしても。
 ホントにこれでいいのかなと思います。欧州では、シリアの難民を支援しようという運動が広がっていますが、日本では、ありもしない「戦争法案」に反対しているだけ。「日本には平和運動(Movement)がない。あるのは反応(Reaction)だけ」という、ヨハン・ガルトゥングの言葉を思い出します。いま、欧州で広がりつつあるような、草の根の難民支援こそ、平和への努力のように思います。
 日本の「集団的自衛権行使容認」を批判している国はほとんどない。それが国際秩序を乱すとは考えられていないということです。それなのに、当の日本人が反対しているのは何故かといえば、それを容認すると、「アメリカの戦争に巻き込まれる」と思っているからでしょう。しかし、日本がアメリカの戦争に巻き込まれるとしたら、それは、独自の外交戦略を持たないためであって、「集団的自衛権」などという、どこの国でもフツーに持っている、あたりまえの権利のあるなしは何の関係もありません。
 右も左もまともな外交戦略の持ち合わせがない。イギリスの誰かが、「靖国はグロテスク」だと評していましたが、まったくその通りだと思う。そもそも、19世紀、帝国主義時代の「外交戦略の道具」にすぎない靖国を、ホンモノの信仰であるかのように(ホンモノの信仰であるかのようにふるまうことも、当時はもちろん、戦略の一部だったでしょうが)、いまだに、権威をふりかざしている、その姿は、日本人から見ても、まったくグロテスクです。
 しかし、私には、今の「戦争法案反対」のデモも、同じようにグロテスクに見える。戦前の日本人は、日本を「神の国」だと信じていた。いうまでもなくナンセンスですが、それは、でも、現代の日本の大衆が、日本を「平和国家」と信じている、その心理とさほど変わらないと思います。「開闢以来、戦争に負けたことがないから、神の国だ」「戦後70年、戦争をしていないから、平和国家だ」、この非論理性がすごく似てませんか?。
 周辺国家すべてと問題を抱えてて、何が平和国家なの?。
 最初に戻りますが、私が言いたいのは、戦争は外交の敗北がもたらす、戦争を引き寄せるのは、拙劣な外交だということです。批判すべきポイントが完全にズレてる。この政治の空洞化に唖然とします。