ニキ・ド・サンファル展

knockeye2015-09-27

 ニキ・ド・サンファルの大回顧展、すばらしいにもほどがある。以上。
 で、伝わればよいけど、そうはいかないので、拙いながら何か書くのも毎度のこと。
 ニキ・ド・サンファルは、フランスとアメリカにルーツを持つ、でもフランス人だと言われても否定しないと思う。母親がフランス系アメリカ人で、父親はフランス人だ。1930年に生まれて、1950年に、1回目の結婚をしている。
 1953年頃から精神的に不安定になり、その治療のために絵を描き始める。この経緯は、アル中治療のために、絵を描き始めたジャクソン・ポロックを思い出させるが、初期の頃の絵は、実際、ジャクソン・ポロックを真似ている。

 これは、1958〜9年の自画像だが、背景はもろポロックだし、その頃の他の作品には、もっとポロックなものもある。でも、人物の部分は色んな物を貼り付ける、アッサンブラージュで、後年の作品の萌芽がすでに見えている。
 ポロックは、ここで失速してしまった。素人目にも明らかなほど、‘しぼんで’しまう。おそらく、ポロックは、自分の絵を信じられなかったと思う。でも、ニキ・ド・サンファルは、ここが序の口で、ここからどんどん加速してゆくのは、展覧会を観て回りながらも爽快だ。ポロックの回顧展を観た時、この人が事故死せず、画家を続けていたらどうだったろうと、死児の歳を数えるような感傷に浸ったものだが、ニキ・ド・サンファルは、そんな感傷を軽々と越えてくれた。
 「射撃絵画」というパフォーマンスが話題になる。蔡國強を思い出させるが、ニキの方が軽く30年は早い。
 草間彌生のヌードパフォーマンスみたいに、これで有名になっちゃうんだけど、ただ、これで、ポロックのような偶然性を、駆け抜けちゃったみたい。この頃の作品は、「射撃」だから、というだけでなく、攻撃的な印象の作品が多い。ドラゴンという、あきらかにゴジラに影響を受けた(「ゴジラ」が持っている「核」のイメージをはっきりと意識していることからも、意識が社会に向かっている。そういう意味で、攻撃的な)作品もあるが、《ポジティブ・ネガティヴ ドラゴン》という作品で、文字通り、ネガからポジへと鮮やかに転換したようにみえるが、そういう象徴的な作品を創りうるのは、やっぱ、一流の証明だと思う。射撃絵画は2年で辞めてる。
 友人の出産を機に「ナナ」といわれるシリーズを作り始める。ここから先は、もうすばらしい以外の言葉はない。

 といいつつ、さらに駄言を書き連ねる。それまでも、最初の自画像でもそうであったように、アッサンブラージュで、絵画と造型の両方の要素のある作品を創り続けてきたのだが、ここで造型の才能が一気に花開いた感がある。ポリエステルなどのプラスチックな素材ながら、どこか日本の陶器のような、手のぬくもりを感じさせる。写真にすると、スケール感が出ないので、魅力が半減する。ぜひ、展覧会に足を運んで欲しい。

 彼女自身は、カソリックの出だが、後年、来日した時に、京都の仏像にインスピレーションを得て、《ブッダ》を製作する。この作品は、撮影可になっていた。こういう日に限ってカメラを持っていなかった。

 「ひとは、おのぞみなら、毎日でも神を変えることができる」という彼女の言葉が紹介されていたけど、この上なく正確だと思う。《ブッダ》は、ニキ・ド・サンファルの直観の鋭さをよく示している。
 トスカーナに造った、広大な《タロットガーデン》は、パブリックアートとして、先駆的な試みだった。彼女の想像力のスケールに感嘆する。

 すでに閉館してしまったそうだが、日本にはニキ・ド・サンファルの個人美術館があった。個人的にも親交のあった、増田静江という女性が作っていたものだそうだった。