「キングスマン」「ピッチパーフェクト」「グッドライ」など

knockeye2015-09-30

 もう月末なので、書きもらしたことをつらつら書いとく。

 「進撃の巨人 part 2」は、part1と同じスタッフが作ったとは思えないくらい「あれ?」っていう感じ。謎の回収を急ぎすぎ。特に、調査兵団は、ショッカーの戦闘員並みの扱い。って、若い人はわからないか。part1を作ってからpart2を作るまで、1年とか、2年とか、平気で待てる、胆力というか、足腰というか、地力がないんだと思う。part1の思い出を胸に、part2のことは忘れたい。
 考えると、高畑勲が、10年以上も何にもしないで平気な顔してるのは、ジブリの凄みなんだなと、変なところで感心した。

 「キングスマン」は、「キックアス」のマシュー・ヴォーン監督が、コリン・ファースサミュエル・L・ジャクソンを起用して作った、イギリスのスパイ映画。原作も「キックアス」の人だそうだ。「キックアス」のニコラス・ケイジに、コリン・ファースサミュエル・L・ジャクソンは、出てるだけで面白い気がする。サミュエル・L・ジャクソンの「ビッグ・ゲーム」も、観るつもりだったんだけど、気がつけば、横浜のレイトショーしかなくなってた。「テッド2」の「サミュエル・L・ジャクソン」には笑ったけど。「アンブレイカブル」の悪役が私は好きです。
 それから、「さよなら人類」もそうだけど、スウェーデン王室の度量の大きさには感心した。「キングスマン 2」は、日本も舞台になるらしい。日本の皇室があそこまでのセクシー路線を許すかどうかなんだけど、個人的な意見としては、積極的平和主義の観点からしても、全面的に協力して欲しい。堅いことは言いっこなし。セクシーになるとも野暮となるなかれ。
 
 「天使が消えた街」は、カーラ・デルヴィーニュはじめ、女性陣がみんな可愛かった。が、それだけかな。英米人(とひとくくりにしてしまうが)にとっての、イタリアの「異国感」が伝わらない。主人公の、異邦人の孤独が、もっと際立っていたら、留学生が殺される「事件」とうまく共鳴したと思うが、そのケミストリーがうまく働いたとは思えない。
 その意味で、「ギリシャに消えた嘘」は、パトリシア・ハイスミスの原作ももちろんだが、その異国の空気が素晴らしい。世界がまだ充分広かった時代と言っていいのかどうか。今もホントは広いんだろうけれど、ネットのお陰で「世界が狭くなった」みたいな固定観念から、抜け出すのは容易ではない。
 世界が均質で、「プレーン」であるかのように、思いなすからには、私たちは実は、情報を喪失していると考えるべきかもしれない。情報が豊富であれば、世界が「プレーン」になるはずはないから。あるいは、私たちの感度が鈍麻しているか。

 「ピッチ・パーフェクト」は、アメリカでは、2012年に公開されたらしい。その年なら、主人公を演じたアナ・ケンドリックは、ロバート・レッドフォードの「ランナウェイ/逃亡者」で観た。たぶん、「グッド・ライ」のリース・ウィザースプーンと同じく、観客と身の丈が同じって感じさせる、ニュートラルなお芝居ができる存在なんだろう。
 サービス満載、おかずてんこ盛り、キャラもしっかりしてて、安心して楽しめる娯楽作品。「ジャージー・ボーイズ」ほど圧巻ではないけど、「バーレスク」とか好きならオススメ。日本でも、ももクロとかAKBとかで映画を企画することがあるけど、このくらい、娯楽に徹した、エンターテイメントの伝統は、やはり、アメリカに一日の長がある。もうすぐ2も公開される。

 「グッド・ライ」。この映画自体が「グッド・ライ(良いウソ)」だと思うが、しかし、演じているのは、ホントにスーダンの難民。難民を受け入れるには、「良いウソ」を共有する覚悟が必要なんだろう。
 今、シリア難民が、EUに押し寄せている。日本政府も、金銭的な援助を申し出たが、もし、日本社会に、民主主義の理念を、国際社会と共有する意思があるなら、この難民を、私たちの国に受け入れるべきだと思う。しかも、百や千ではなく、万の単位でコミュニティごと受け入れる方が、問題が起きにくいだろう。チャイナタウンやコリアンタウンがあるように、シリアタウンを作れれば理想的だろう。
 こないだ電車に乗ってたら、どっかの国の人が、数人乗り込んできた。なんか大きな声で話してるんだけど、ちょっと、マナーが悪い感じもするし、お国柄なのかな?、くらいの感じもする。
 でも、たぶんだけど、スッゲーえげつない日本の悪口を言ってたんだと思うんだ。というのは、おそらく、その同じお国と思しき人が、ちょっと離れたところから、そっちに視線をやり始めた、その感じが、「にらむ」って言ってもいいくらいの感じで、近寄って注意しようかどうしようかって、迷ってるのが、こっちにも伝わってきた。
 ただ、その車内の日本人の雰囲気がまた面白くて、たぶんだけど、私と一緒で、「わかるわかる」って感じなんだ。「日本は住みにくいだろうな」って。日本人でも息苦しいから、外国人なら余計だろうなって。
 それで、騒いでた人たちも、同国人の視線に気づくと、ヤッパちょっと、トーンダウンするわけ。見知らぬ同国人が一人いるだけで、帰属するコミュニティが、そこに存在するわけよ。だから、自分が属するコミュニティがあるということと、言葉が通じるということが、大きいと思う。言葉は、時間がなんとかするだろうけど、その時間を稼ぐためにも、帰属するコミュニティの存在が重要だと思う。
 だから、万単位で受け入れた方が、却って円滑にゆくだろう。難民って言っても、もともと、みんな、仕事してた人たちで、ホームレスじゃないんだから。
 難民受け入れにかかるコストは、税金の使い道として望ましい、物心両面にわたって、見返りの多い投資になるだろう。