「ヴィジット」、「Don’t Follow the Wind」補遺

knockeye2015-10-28

 「シックス・センス」でおなじみ、M・ナイト・シャマラン監督の最新作「ヴィジット」を観てきたけど、怖いんだったら、こわい映画ですって、先に言っといてもらいたかった。
 日本のホラー映画の影響があからさまなのは、ちょっと意外なほど。M・ナイト・シャマランを観ていて、中田秀夫に出くわすとは思わなかった。中田秀夫は、海外の映画人に、けっこうなインパクトを与えてるんだなっつうことを改めて確認させられました。
 M・ナイト・シャマランは、何と言っても、「シックス・センス」てふデビュー作のインパクトが強すぎて、なかなかあれを越えられないのかもしれない。ただ、小林信彦みたいに、冒頭でもうオチがわかったっつう手練れにとっては、大したことないらしいのだけれど、オチがわかって観てても面白い気がするけどね。
 ちなみに、森公美子早見優に「シックス・センス」のオチをバラしたっていう話を聞いた時は、やっぱデブは無神経なんだなと思った。
 M・ナイト・シャマランで、個人的に好きなのは、何度か書いた気もするけど、「アンブレイカブル」。短編小説みたいな味わい。なんで、怖い系の人って意識がなかったんだよね。途中で椅子の上で跳ねたわ。カッコの悪い。
 でも、テーマは分裂してる気がする。怖い系というより、おどかし系だね。これもオチをバラしちゃまずいね。
 そういうわけで、これ以上書くこともないので、「Don't Follow the Wind」について、ちょっと書くのをためらった話をすると、椹木野衣の文章の後半部分は、こいつ一体なに言い出すんだ?って感じがしないでもないな。キリスト教文明とコンセプチュアル・アートって。面白いといえば面白いけど、鼻につかなくもないな。
 それよりも、緑川雄太郎の「福島の現状ー来る・な」が切実に思った。「来るな」は、福島の「勿来」そのものだけど、蝦夷とかそこまで遡らなくとも、明治維新から尾をひく、会津と長州の遺恨は、まだ歴史とまで言えないでしょう。
 この緑川雄太郎という人は、「未来へ号」てふ車で、福島に凧揚げに行ったんですと。震災以前から住んでいる人と、震災後に移住してきた人の「きずな」のためだったんですと。参加したのはぱらぱらだったそうなんだけど。っていうか、新住民の方はひとりも来なかった。んで、凧揚げの後、駐車場に戻ったら、「未来へ号」は落書きだらけだったんですと。
 前にも書いたけど、椎名誠は、福島の海岸で、ソフトボールの道具一式ごっそり盗まれた。
 比較して、そっちにリアリティがあると言うつもりはない。何と言っても、展覧会の会場を無償で提供してくれたのも、地元の人たちなんだし。しかし、アーティストって、つまり、台風の時にはしゃぐ子ども、以上のものではないなってことは、肝に銘じたい。オノ・ヨーコも言っているけれど、「アートは生きることに必要な遊び」なんだと思う、遊びだけでは生きていけないにせよ、遊びなしでも生きていけない、それほど切実な遊びがアートであるべきだろう。