ホリエモンの派遣をめぐる発言とそれに対する元派遣社員の意見

knockeye2015-12-19

「海外の友人がみんな驚くのは日本は人材派遣業が一流企業みたいな扱いであること。アメリカなどでの人材派遣とは医者や弁護士など高給取りの専門職斡旋だけ」
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「こんな昔のヤクザがやってたピンハネ屋稼業が大手を振って商売してる日本は狂ってる。最大のピンハネ屋の会長が日本の経済戦略会議の委員だっていうんだから頭痛がする。他の国なら暴動だよ」
ていう、堀江貴文の発言を話題に、日本の派遣業の実態をまとめたブログがあって、元派遣社員の私としては考えさせられた。
 堀江貴文の発言通り、派遣で働くなんてことは、まっとうなことではない。派遣業社の社員ということで、派遣先の会社で働くのだが、派遣業者が給料を払ってるわけではない。その逆で、働いてるこっちの給料からピンハネしているのだ。こんな働き方がまっとうであるはずがない。
 でも、それを承知で、こっちは派遣社員になる。それは、なぜかというと、日本の企業に就職して、「愛社精神」なんて気持ち悪いモノを強要されるくらいなら、派遣会社にピンハネされる方がましだからだ。
 一般企業に就職したとしても、どうせ、労働を提供してその対価を得るだけのこと。その対価を決める権利がこちらにないかぎり、構造的にはピンハネと変わらない。法の縛りがきついかゆるいかの違いしかない。であれば、精神的にピンハネされない分、金銭的なピンハネが二重になっても、派遣で働く方が気持ちがさっぱりする。と、若い頃の自分は、そんな風に考えて、派遣で働いていた。
 「愛社精神」とか、「愛国心」とか、そういう寝言にだけは我慢がならない。なんで、国や会社を愛さなきゃならないんだ?。気持ち悪いこと言ってんじゃねえわ。「愛国心」とか「愛社精神」とかいい加減死語になってもよさそうなものだが、実際は、なお壮健なようで、たとえば、オリンパス不正経理を告発しようとした英国人の社長が解任されたり、東芝損失隠しが行われたりする、あれが「愛社精神」と言われていたものだ。
 アリさんマークの引越し社の副社長が、ただのパワハラを「ブラック社員から他の社員を守る為」などという言い草が、一応通用すると判断するのも、この国の社会の「愛社精神」のたくましさを証明している。
 「日本式家族的雇用」なんて言ってもち上げる人もいるが、それが結局、労働者が正統な権利を主張することを悪と見なす良い口実にされている。雇用関係は家族関係ではない。そんなことを改めて書かなきゃならないのがバカみたいだが、日本人の「国=家族」という幻想はけっこう根深い。
 これは、歴史的に言えば、野口悠紀雄が『1940年体制』で指摘したように、日本の高度成長を支えたのは、戦時中の国家総動員体制であり、日本の企業は、いまだに高度成長のアンシャンレジームを脱しきれないためである。「愛社精神」と「愛国心」は、同根の迷妄なのだ。
 また、一方では、日本の労働組合にも同様の問題があり、状況の打開を困難にしている。日本の労働組合は、アメリカのユニオンのような労働者の権利を守る組織ではなく、ソビエト社会主義革命を実現するための革命評議会みたいなものなのである。ソビエト連邦はすでに存在しないが、それを言うなら、国家総動員体制だって、それより早く消滅している。
 日本の雇用や労働を、社会がどう認知しているかといえば、江戸時代の丁稚奉公以外の認識ができていない。しかし、現実の社会生活は変化している。そういう認識と現実の断層に派遣会社が必要悪として存在している。
 以前、大前研一が、すべての雇用を派遣会社の形式にしてしまえばよいといった発言をしていたが、それもアリだと思う。その上で法を整備するのだ。労働組合が現実の労働者の実態に関わらない現状では、派遣会社をアメリカのユニオンのような存在にするのもアリだと思う。ただし、構想としては面白くても、現実には、なかなか難しいと思うが、派遣をめぐる議論が、「国家総動員体制」vs.「ソビエト社会主義革命」という状況よりは、はるかに希望のある議論なのである。