「ラブ&マーシー」、「フレンチアルプスで起きたこと」

knockeye2015-12-30

 いま、帰省中。近所の映画館で何がやってるか調べてたら、「パルシネマしんこうえん」てふ名画座で、「ラブ&マーシー」がかかってた。元ビーチボーイズブライアン・ウィルソンの半生を描く。
 1960年代、ビーチボーイズ絶頂期のブライアン・ウィルソンを、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の、ポール・ダノが、1980年代、人生を失いかけていたブライアン・ウィルソンを、「マルコヴィッチの穴」の、ジョン・キューザックが、それぞれ演じている。
 同じ人物の20代と40代を別々の役者が演じる必然性は、他の映画なら、多分ない。ポール・ダノジョン・キューザックに、それぞれの年代のブラッド・ウィルソンを演じさせた、このキャスティングは成功だった。外見は似ても似つかないこのふたりが、同一人物に見えて来る。
 しかも、実話なんだから、まさに、アメリカン・ドリームであり、アメリカン・ナイトメアだが、でも、60年代のロックスターのカネにたかろうとした連中は多くいたと思われる。何しろ、目の前を、子どもが大金を持ってウロチョロしているようなものだから。
 ローリング・ストーンズビートルズという二大レジェンドの財布に食らいついた、アラン・クレインは、今でもその悪名を多くの人の記憶にとどめている。
 ミック・ジャガーがアラン・クレインを追い出したからこそ、ローリング・ストーンズは、今でも続いているのだとも言えるし、ジョン・レノンがアラン・クレインを引き込んだからこそ、ビートルズは終わったとも言えるかもしれない。少なくとも、ブライアン・エプスタインを失ったことが、結局、ビートルズを終わらせたというのは、冷静な意見だろう。
 今考えると、ポール・マッカートニーが、法廷に持ち込む形で、ビートルズを終わらせたのは、驚くほど賢明だった。「僕がビートルズを去ったのではない。ビートルズビートルズを去ったのだ。」と言ったと伝えられている。
 ブライアン・ウィルソンの場合、実の父親に裏切られている点で、さらに悲惨だが、とにもかくにもハッピーエンドに救われる。そうでない場合も多かったわけだから。
 「パルシネマしんこうえん」は、基本的に二本立てだそうで、「フレンチアルプスで起きたこと」も観た。これも、公開当時に気になっていたのだけど、地味なネタではあるので、気分と都合に左右された。スウェーデンの映画なんだけれど、全米で大ヒットして、ハリウッドでリメークされるそうだ。
 スキーリゾートに休暇を過ごしに来ていた家族が、ちょっとしたトラブルを経験する。スキーリゾートが、大規模な雪崩れを避けるために、人為的に起こしている小さな雪崩れのひとつが、レストランのテラスに届きそうになる。結果的には、ちょっと雪煙がかかっただけのことだったんだが、寸前まで、たかをくくって食事していたおとうさんが、家族を置いて逃げちゃった。何でもなかったんだけど、置き去りにされた嫁と子どもは、なんか気まずい。
 これがアメリカでウケるのはわかる気がする。かの国では、マッチョな家父長像が支配的、であるだけでなく、国是と言ってもよい気がするからだ。アメリカ人からマッチョという価値観を取り上げてしまったら、何が残るんだろう?。
 でも、そのシーンを見ながら、「フツー、逃げないでしょ?」って、反射的に思っちゃったので、結局、人間たるもの、何かしらの幻想に安住して生きてるんでしょう。人は、フツー、逃げるらしいね。だから、多分、実際にそういう局面に立ち会えば、私も逃げるんだろうが、その瞬間まで「自分は逃げないだろう」と思ってる。主人公も同じだが、この場合、不意打ちだし、現に、逃げちゃってるし、しかも、自分のスマホに動画で残ってるわけだから、逃れようがない。
 キッツイよね。軽々と結論に飛びつけないけれど、この映画としては、抽象された意味としての家族、普遍的な価値としての家族より、事実としての家族の重みが、そういう普遍性を乗り越えていく、といった描き方に思えた。ただ、オープン・エンディングに近い、考えさせる終わり方だった。
 公式サイトによると、あの雪崩れは、CGなんだそうだ。また、「ギリシアに消えた嘘」でも使われていた「アナモフィック・レンズ」が使われている。アルプスリゾートの紹介という意味でも興味深い。

フレンチアルプスで起きたこと