「ピンクとグレー」

knockeye2016-02-14

 行定勲はわたしにとっては名前で追いかけている映画監督ではない。今まで観たことのある映画を振り返ってみると、「つやのよる」(2012)と「今度は愛妻家」(2009)だった。
 2月11日に行なわれた、岩井俊二監督とふたりのトークショーが公式サイトに採録されている。岩井俊二監督が「ずっと不在の主人公を探し続けている流れが脈々とあって、『ピンクとグレー』がひとつの到達点。」と語っている。
 そう言われてみると、わたしが過去に観た作品ふたつも主要な登場人物が不在だった。「今度は愛妻家」は、このブログでけっこう詳しくレビューを書いてる。元は舞台だったそうで、その演出に引っ張られているせいか、映画の演出としてはこなれていないと感じた。
 「つやのよる」については、「つや」というその女性は顔さえ見せない。「つや」よりも、彼女とかつて男を取り合った女たちがむしろテーマだったように思う。大竹しのぶ忽那汐里が、今でも印象に残っているが、「つや」は「つや」というアイデアにすぎなかったように思う。落語の「らくだ」とおなじく「つや」その人の人物はあやふやだった。
 しかし、今回の「ピンクとグレー」は、話題となっている途中の大転回をはさんで、人物像が多面的で、この仕掛けは、行定勲ごのみの展開ではあるのだろうけれど、原作が現役アイドルの加藤シゲアキであることも含めて、虚実の入り混じる内面の危うさみたいなところまで、斬り込めている気がした。
 特に、菅田将暉夏帆が際立ってよかった。菅田将暉は、「共喰い」と「そこのみにて光輝く」で、その存在を証明したのだけれど、今回もすごくよかった。夏帆は、前半は「海街diary」的なんだけど、後半の展開に唖然としたし、さすがと思った。
 前半、後半、という言い方をしているけれど、実際の構成はたぶん三つに分かれている。柳楽優弥はその最後のところにしか出てこないけれど、謎解きも「不在」というテーマをめぐって、過去に観た行定勲作品の中では、格段に深いと思う。
 私の観た過去作品では「知」に走りがちだったように感じたけれど、今回はスキャンダラスに思えるほど、あやういところまで錘が届いていたように思う。
 シナリオもよく絞れていて、原作と読み比べてみたい気がした。というのは、発端は、ビートルズだったり、「ゼットン」だったり、団地の佇まいとかも、なんか70年代風なんだが、後半は携帯電話を見ても、早くとも90年代後半でないとおかしい気がするので、脚本家の蓬莱竜太と原作者の年齢差が出てるんじゃないかなと思って、どのへんまで原作者のなのかなっていう興味もある。
 ほぼ満席だったですよ。たいがいどんな映画でも「大ヒット御礼」とか公式サイトに書くけど、本当にヒットしてるみたい。