「トランボ」

knockeye2016-07-23

 週刊文春のシネチャートだけど、このところ芝山幹郎の評が手厳しい。
 「アリス イン ワンダーランド 時間の旅」には、
「飾りばかりを気にして、まるで歩けない靴のような映画。脚本が弱く、すぐCGに逃げる。駄目なファンタジーの見本だ。」って、観ましたけど、そこまでひどくなかったですけどね。それにNEWSWEEKの映画評も「ギャグはスベるけど、魅力は健在」って、NEWSWEEKとしてはかなり褒めた方の評価になってましたし。
 「アリス」の話はまあいいとして、「トランボ」なんだけど、
「映像がフラットな上、子供に言い聞かせるような脚本では再現ドラマの域を出ない。人物も背景も、もっと複雑だろうに。」
つうんだけど、うーむと考え込んでしまった。
 芝山幹郎にとっては「子供に言い聞かせるような脚本」かもしれないけど、「もっと複雑」な背景を脚本に詰め込もうとすると、多分、ロクでもないことになるんじゃないか。もしくは永遠に書き上がらないか。大胆すぎても(ジョン・ウェインがまるで“クズ野郎”だが)切り捨てる方が正解だと思う。
 それに背景がどれほど複雑か知らないが、現にとった行動が「赤狩り」などという子供じみた所業なんだから、「子供に言い聞かせるような脚本」で正解じゃないのか。ティーパーティーみたいな子供じみた団体の後を追って、ドナルド・トランプなんてガキ大将みたいのが大統領候補になる、今のアメリカの時代背景を考えると、「子供に言い聞かせるような」態度が理性的なんじゃないかというのは、切実な実感かもしれない。
 うっかり先走ってるんだけど、こうやって書いてみると、この映画はうかうかすると今の時代の風刺とか当てこすりみたくなる危険もあった。また、もっと悪くするとイデオロギッシュなプロパガンダになるかも知れなかったのに、そうならなかったのは、やっぱり、登場するキャラクターの魅力が粒立っているからだと思う。
 ブライアン・クランストンダルトン・トランボはタフで精力的だし、ダイアン・レインクレオ・トランボは如才なくて芯が強い。
 「ジンジャーの朝」のエル・ファニングは、あいかわらずしっかりした娘さんだし、「10クローバーフィールドレーン」のジョン・グッドマンは、うってかわって頼もしい。
 ディーン・オゴーマンのカーク・ダグラスはカッコいいし、ヘレン・ミランのヘッダ・ホッパーは心底ムカつく。
 しかし、Googleで出てきたヘッダ・ホッパーのこの顔、

高市早苗とか桜井よし子とか、化粧で似せてんのかな。それとも似て見えるのは気のせいなのか。独特のウソくささ。「非米活動委員会」、「アメリカの理想を守る映画同盟」、こういう愛国者が世界中に溢れてるらしいね。
 ところで、5月にコーエン兄弟の「ヘイル、シーザー」って映画があったじゃないですか。あの時代背景もこの時代なんだ。
 あの映画はスベリ気味のおふざけ映画だったんだけど、今回、ジョン・グッドマンが演じたタフな映画屋さん、あれが、「ヘイル、シーザー」のジョシュ・ブローリンに重なると思うんだ。だから、「トランボ」も、あの人に視点の重心を移すと、けっこう痛快なコメディーになるね。
 なんか飛び込みで売り込んできたシナリオライターが、実は、偽名で2度もアカデミー賞を受賞してたなんて、シチュエーションとして遊べそう。