「だれかの木琴」

knockeye2016-09-17

 「シン・ゴジラ」と「君の名は。」の影に隠れてか(今日も満席が続いてるみたいだったな)あまり話題になっていないかしれないが、常盤貴子池松壮亮の「だれかの木琴」がけっこうよかった。常盤貴子の女ざかりが映画に上手くはまっている。
 池松壮亮も、今まで観たうちで(と言ってもそんなに観てないけど)いちばんよかった。もっとぶっちゃけて言っちゃうと「紙の月」の時よりはるかによかったって言いたいわけ。「紙の月」は、宮沢りえがずっと化けないんだもん。最初から最後まで「ああ、宮沢りえね」って感じ。
 「だれかの木琴」の常盤貴子は、最初の野暮ったい感じから、途中でどんどん妖艶と言いたいほど綺麗になって、そして最後にフツーになる。物語の感情曲線に沿って美しさが変化する。
 もちろん、演出やカメラやメイクやの力もあるにはちがいない。しかし、それでも、誰でもできるというものではない。そういう常盤貴子に、池松壮亮の受け気味の演技が上手く噛み合っていた。
 この映画の紹介記事なんかだと、イケメンの美容師に専業主婦がストーカー化していく、みたいな書き方をしている場合が多いが、そんな単純な話じゃない。タイトルにあるとおり、空き家のはずの二階の窓から、小さな女の子がデタラメに叩くような木琴の音が聞こえてくる、そんなイメージで、そのイメージがこの映画のコアになっていると思う。
 実際には、ストーキングと言えるほどの何かがあるわけではなく、むしろ、ストーキングと名付けられるほどはっきりした何かであってくれればと、そう思いたくなる心理は、佐津川愛美(「ヒメアノール」の彼女)が引き受けている。しかし、ストーキングと一言で片付けるわけにいかないもっと深刻な闇を、すくなくとも、常盤貴子池松壮亮、そして、常盤貴子のダンナ役の勝村政信は、見ている。
 その闇が、ある出来事をきっかけに消えていくのだが、それが消えていくのが、なにか惜しいような気がする。
 一方で、家の紡ぎ出す物語でもある。勝村政信は、ホームセキュリティの会社に勤めていて、常盤貴子とひとり娘と暮らす新居には、厳重なセキュリティシステムがかけられている。ドアと窓がとても印象的に描かれている。勝村政信の登場の仕方は衝撃的だと思う。
 池松壮亮が暮らすメゾネットタイプのアパートも、勤めている美容室「ミント」も、同じシーンをドアの内側からと外側からと、視点を変えて、あえて繰り返すシーンが何度かある。ドアのこちら側、あちら側、ドアの開け閉めというシーンがすごく多い。そのリフレインが独特のムードを醸している。
 言葉ではなく、映像でないと語れない、ある闇がたしかに描かれている。東陽一監督のプロの仕事だと思う。オススメしたい。