「ハドソン川の奇跡」

knockeye2016-09-24

 クリント・イーストウッドの新作「ハドソン川の奇跡」は、「シン・ゴジラ」と比べてみるべきかもしれない。
 「シン・ゴジラ」は、もちろん虚構なのに対して、「ハドソン川の奇跡」は、まだ記憶に新しい実話だが、予期できない事故が起きた時にどうあるべきか、自分たちの社会がどんな風に、その事故を収めてゆくかについて、日本とアメリカの二つの社会で、こうあるべきと考えられているありかた、それが、理想的であるか、あるいは、どうせこんなこったろうと達観されているか、どちらにしても、かつてない危機というシミュレーションのもとで想像する、自分たちの社会のヴィジョンがこんなにも違う。
 「ハドソン川の奇跡」も「シン・ゴジラ」もある意味誰もが知ってるストーリーだが、それを観客の注意をそらさずひっぱっていく手腕は、クリント・イーストウッドが長けている。「シン・ゴジラ」は、スピード感のある演出でたたみかけた。でも、その忙しない展開の背景にあるべきテーマは、はぐらかされているように感じた。
 原題のとおり、主人公はもちろんサリー機長なんだが、乗客もただ逃げ惑う群衆という扱いではないし、付近を航行していたフェリーや、派遣されたヘリの活躍もちゃんと描かれている。公聴会を開くなんとか委員会もただの悪役ではない。原題は、サリー機長も職務に忠実なひとりの市民にすぎないってことを強調しているように見える。
 全ての登場人物が自分で判断して行動するし、組合は組合員の代弁者として努力するし、公的機関はフェアであろうとする。実話である。
 「シン・ゴジラ」を、東日本大震災のメタファーみたいに取る人もいるようだが、たぶん違うと思う。東日本大震災のとき、小沢一郎は、放射能漏れの情報を手に入れて、東京の自宅に籠り、ミネラルウオーターを買い占めて、表に出る事もしなかった。東北選出の議員なのに。これが日本の政治家の実話。映画化は難しい。