
- 作者: 小島信夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1967/06/27
- メディア: 文庫
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第二次大戦末期から、戦後にかけての日本が舞台。敗戦国の惨めさが超笑える。
そりゃ負けるわ。誰が勝てると思ってたんだろ?。こんなんで。なんでそう思えたんだろう?。アホの妄想に付き合わされた人たちは、いい迷惑だった。
表題作は、ちょっと戯画化されすぎてて笑えない。むしろ、大陸での従軍体験をつづった(のか、完全な創作なのか知らないが)前半の小説群が面白かった。
笑いとばしてるっていうと強すぎるし、自嘲というには明るい、ペーソスというほど深くもない、そんな笑いが充満している。
今思いついたけど、この笑いは、国吉康雄を思い出させるな。仮面が地顔になってしまったかのような。軽く笑えるのだけれど、実は、深刻じゃないのかと、あてのない疑いを抱えざるえないような。
中国での残虐行為も慰安婦も出てくる。これらのことは、当時の作家たちの作品にはよく出てくる。だから、こうした残虐行為や、慰安婦が存在したことに疑いを挟む余地はない。
問題は、これについて言い争っている公権力者たちが、南京大虐殺の人数とかになぜ拘るのかつうことなんだが、それはもう現在の外交上の綱引きにすぎない。その意味において、プロバガンダにすぎない。特に、中国は紛う方なく「戦勝国」なんであって、戦後の敗戦処理については、彼ら自身が決めたことなんだし、その決定に従った敗戦国に対して、70年も経った後、半畳を入れるのは明らかにおかしい。
「慰安婦問題」は、もう書くのが億劫だが、ファンタジーにすぎない。fantasy based on facts。事実に基づくファンタジーだ。facts、「事実」の部分については、謝罪もし賠償もしてきたのだが、fantasyの部分には責任のとりようがない。
そのfantasy が、言いかえればナショナリズムで、そんなものは畑の肥やしにもならんのに、しかし、そんなfantasy に取り憑かれた人たちには、factsとfantasy を分離するのが難しい。というより、彼らは、fantasy をfactsより重んじている。専門用語でいうと「厄介な連中」だと思う。
ところで、このなかの「馬」っていう短編は、村上春樹が、『若い読者のための短編小説案内』で取り上げていた。
確かに、この絶妙な間合いが村上春樹の作品に似ているかも。村上春樹は、毎年のようにノーベル賞がどうのこうのと噂されるが、それはともかく、最近、時代に切り込むとっかかりを見失いつつある気がする。
私のカン(あてにならないが)では、村上春樹は、日本に向けてではなく、アメリカに向けて、作品を書いた方が良いのだろうと思う。村上春樹が日本の現実とずれ始めているというより、日本の現実が世界からずれ始めていると感じる。