「永い言い訳」

knockeye2016-11-01

 西川美和の師匠にあたる是枝裕和が、糸井重里との対談で言ってたけど、西川美和は、広島にある実家の部屋に籠らないとシナリオが書けないそうだ。「永い言い訳」の何かの記事で「ひとりとじこもってシナリオを書いていると、こんな話を面白がるのは自分ひとりだけではないのか?といった」迷路に落ち込んでしまうと書いているのを読んでそれを思い出した。
 そういう西川美和のシナリオを、この主役の本木雅弘って人は、これがまた、自分が納得するまでカメラの前にたたない人で、監督に徹底的に質問攻めする。そういう質問が、時には、自問自答の独白のようになることもあったそうで、ひとりで迷いがちな西川美和にとっては、むしろ、助かったと書いていた。
 本木雅弘は、「日本のいちばん長い日」では昭和天皇を演じた。それを思い出しながら、今回の、妻を亡くした作家・津村啓を眺めていると、この役者さんの仕事はいかにも頼もしく感じる。
 私だけかも知れないけれど、この津村啓、どこかで見た気がするなと考えてみると、田中康夫を思わせぬでもない。女にだらしなく、間違ってもマッチョではないが、マッチョな男よりもはるかに自信過剰で自己愛が強く、あえてオネエっぽいしゃべり方をいとわないポーズが、いつの間にか自分の語り口になってしまった感じ。そのナルシシズムの裏返しに、抱えているコンプレックスもなかなかのもので、その依り代が「衣笠幸夫」という、広島カープの鉄人と同じ音の本名ということだろう。
 ただ、深津絵里が演じる奥さんは、平気で「幸夫くん」と呼ぶ。たぶん、彼のコンプレックスがほんとはその名前にはないと、内心見抜いていて、彼のそのロールプレイにお付き合いするつもりはないようなのだ。奥さん、衣笠夏子は、有名な美容サロンのオーナーだが、若いころから、文字通り髪結いをして、食えない時代の津村を支えてきた。
 なんなら、旦那の浮気もお見通しらしい様子。案外こういう男女って見かけなくもない。少し離れてみると、相互に依存しあっているように見えてしんどい。でも、少し近しい立場の人から見ると、また違った見え方もするようで、夏子さんのお店で働いているスタッフには、幸夫くんをよく思わない人もいて、告別式で詰め寄ったり。
 詰め寄るスタッフ、松岡依都美って女優さんは最近よく目にする。「味園ユニバース」のときの渋谷すばるのお姉さんがすごくよかったと思ってると、是枝裕和監督の「海よりもまだ深く」にも出てたし、ちょっと似た味の役どころが多いんだけど。
 幸夫くんの浮気相手は黒木華。このセックスシーンが二回。一回目は目線レベルのカメラなんだけど、二回目は俯瞰。小林信彦が、「ディア・ドクター」のときにもう、西川美和の男を見る目が怖いって言ってたと思う。この俯瞰は、もちろん、夏子さんの視線を意識しているに違いないんだけど、それは、幸夫くんの無意識にある夏子さんの視線なのに違いなくて、幸夫くんみたいに、自意識が全世界を取り込んでしまうタイプの男のやりきれなさみたいのを、西川美和って人は描いてしまう。
 二回目のときに黒木華が「××××」っていうシーンがあるんですけど、男の監督だと書けないセリフなんじゃないかと思いました。
 夏子さんの友達もバスの事故で一緒に亡くなってしまうのだけれど、その旦那さんの竹原ピストルが、幸夫くんとは対照的にストレートな人で、幸夫くんはどこか引け目を感じている。だけど、竹原ピストルのほうには奥さんが残した兄妹がいて、このお兄ちゃんのほうが幸夫くんと馬が合う。この子も幸夫くんと同じようにストレートに泣けない。だけど、この子にとって竹原ピストルは父親だから、幸夫くんとは別の感情を持ってる。その対比もすごくいい。
 夫婦の片方が突然死んでしまったら、みたいな設定は、洋の東西を問わず、けっこうあると思うけれど、西川美和が撮ると、そう甘い話にはならない。スイーツであるよりステーキで、ナイフを入れると肉汁が沁み出す。そんな感じですね。