「手紙は憶えている」

knockeye2016-11-03

 この映画のプロットは、もし、現実にこれが実現可能かと考えると、ありえそうもなく思えるが、それは、映画を観終わって一分やそこら、劇場の出口に向かって歩いている間に浮かんでくる考えだと思う。
 映画を観ている間は、主役のクリストファー・プラマーマーティン・ランドー、二人の老優の重厚な芝居に引き込まれている。だから、文字どおり驚天動地のラストにも「やられた」と思うだけで、むしろ爽快感がある。「ええぇ・・・」という消化不良な感じにはならない。
 あとから考えて「あれ?現実に可能か?」みたいなことは、映画の価値を減じないつうことが今回よくわかった。「ゴジラ」を観終わった後に、「ゴジラなんて現実にいないよね」とかはそれを言う方がバカなのと同じだろう。
 観る前に『ヒトラーとナチ・ドイツ』を読んでいたので、「水晶の夜」なんて言葉が出てきた時も怖さが違った。
 しかし、戦後70年を経て、もはや頭もボケはじめ、自分が何者かも時々忘れるような状況になっても、まだ復讐を成し遂げようとする憎しみの強さには、いろいろと考えさせられる。だから、実現不可能か、物理的には実現可能だが、現実には不可能に見えても、今、現時点で映画としてリアルなんだと思う。
 時代がどうやら転換していくらしい今日この頃だが、個人の恨みはそれとは関係なく残り続ける、車いすに座ったマーティン・ランドーの姿が最後に胸に残る。