『賜物』、『壁の男』

knockeye2017-01-05

 年末年始、風邪をひいた上に、腰を痛めて、ブログぐらいは書けなくはなかったが、そんな気にもならず。
 クリスマスは風邪、正月は腰痛というさんざんな年越し。今年は暦も廻りが悪い。2日にもうUターンラッシュが始まったについては、日本人って集団について、ちょっと心配してしまった。
 ナボコフの『賜物』っていう、彼がロシア語で書いた最後の長編(だったっけ?)を読んだ。
 池澤夏樹が個人的に選んだ世界文学全集に入っている。沼野充義の翻訳は、脚注が詳しく、読みやすい。ナボコフの場合、脚注がないと、ほぼ、何のことかわからない(わたしは)。
 この小説は、ドイツにおける、亡命ロシア人の社会が舞台になっている。その意味では、せまいながらも、背景に実社会が感じられる、ナボコフとしてはめずらしい作品かもしれない。
 ナボコフの小説が、主人公の妄想みたいになりがちなのは、マルチリンガルであっても、彼が早くに所属する社会を失ったのが大きいのかと思った。
壁の男 (文春e-book)

壁の男 (文春e-book)

 そのあと、貫井徳郎の『壁の男』って小説も読んだ。
 ナボコフの後に読んじゃうと、「あれ?、小説ってこんなんだったっけ?」って、感じになる。
 話の出し入れは面白いけど、せっかく話者が入れ替わるのに、文体に変化がないので、作家のメモみたいに思えてしまう。ナボコフを読んだ後だと。
 いろんな要素を詰め込み過ぎて、ひとつひとつのテーマは、掘り下げ不足にも思えるし、逆に言えば、壁に絵を描く主人公の動機を、いろんな角度から光をあてて、立体的に際立てようとしているのかもしれない。
 主人公の動機を多面的に描くことには成功していると思うが、読み終わって、何となくモヤモヤするのは、他の人物が、その目的のために都合よく登場するみたいに思えてしまうからだろう。
 街を埋め尽くす主人公の絵が魅力的に感じられる点では、成功していると思うが、ピロスマニという実在の画家がいるので、彼を現代の日本に生きさせたらという発想ならそれは面白かった。
 ただ、主人公と奥さんが、ピカソとダリが好きってのが、変にひっかかった。一般論として、ピカソが好きなら、ダリは好きじゃない気がする。例えば、わたしはピカソもダリも好きだが、それは好き嫌いがないって言ってるのと同じなんだろうと思う。
 どうでもいいようなことだけど、そういう細かいことの積みかさなりで、なんか読後感がモヤモヤする。