『去年の冬、きみと別れ』

knockeye2017-02-17

 『掏摸』が面白かったので読んでみた。
 『掏摸』の方が面白い。
 どこが問題かといえば、殺人容疑で捕まっている写真家の性格がぶれてる。
 今度の蝶の写真家は、死んだ蝶に興味はないと彼自身が言っている。現に、乱舞する蝶の写真が代表作である。その意味で、コレクターではない。だとしたら、ウィリアム・ワイラーの映画「コレクター」のような女性監禁事件を起こすのは、彼自身の信条に反する。
 人が信条に反することをするのは珍しくないが、だとしたら、この男は凡庸な性犯罪者にすぎなくなってしまう。
 芥川龍之介の「地獄変」のマネをして失敗したと、人形師に評されるが、「地獄変」の主人公は、自分の娘が焼き殺されているのを目にして、絵筆を走らせてしまう業の深い絵描きである。そういう画家にあこがれているとしたら、それがすでに凡庸な作家であることを証明しているだろう。
 一方で近親相姦のテーマがある。蝶の姿に仮託しているのが美しく残酷な姉の姿だとしたら、この姉弟のモデルとカメラマンとしての関係は相互依存的だろう。写真はセックスの代替行為だったはずである。写真を処分してしまういきさつに説得力がない。
 この写真家と人形師がシンパシーを抱くのは分かる。どちらも一瞬をとらえようとする志向を持っている。ところが、この人形師は狂言回しみたいな役割しか演じない。
 事件の仕掛けは面白い。だから、この小説は、登場人物の性格とミステリーとしての仕掛けがミスマッチなんだと思う。『掏摸』の場合は、掏摸である主人公の無意識にまで掏摸がすりこまれていて、それほどの職人技が見事なラストにつながる。それと比べると、今回の写真家は途中で魅力を失う。スランプだったとうわさされていたことになっているが、そういうことだろうと思う。
 蝶の写真家、その姉、人形師、この三人を深く追い詰めていったら、別の物語になったろうと思う。