『なかなか暮れない夏の夕暮れ』

knockeye2017-03-11

なかなか暮れない夏の夕暮れ

なかなか暮れない夏の夕暮れ

  • 作者:江國香織
  • 発売日: 2017/02/10
  • メディア: 単行本

 江國香織の新作。ナボコフの『賜物』以来、なかなかよい小説に出会わなかった気がするけど、江國香織はさすが。『抱擁、あるいはライスには塩を』と同じく、風変わりなお金持ち小説ともいえるが、そういう狭い設定が、どうしてこんなに面白いのかは、時代が下って後付けの社会論や文学論を言う人がいるかもしれない。
 例えばこの主人公は、夏目漱石芥川龍之介が描いた高踏遊民の末裔だとか、国際社会で地位を得たものの、先行きにビジョンを見出せない今の日本人のカリカチュアだとか。
 それはさておき、もし映画化するとしたら、大竹という税理士は、おぎやはぎの矢作さんだなと真っ先に思った。でなきゃ、「恋人たち」で弁護士をやった池田良
 となると、主人公は小木さんかというと、それはちょっと違う感じなのは、小木さんは芸人の中では引き気味の人だけれど、それはあくまで「芸人の中では」にすぎなくて、ことに女性関係になるとぐいぐいいく人なので。
 むしろ、バナナマンの日村さんがかえって面白い気もするが、痩せてなきゃいけないので、これも無理。
 50歳で痩せてて白くて本ばかり読んでる。リリー・フランキーさんが頭に浮かぶけれど、リリーさんは日本映画で便利に使われすぎだし。その連想で、福山雅治はアリだと思う。でもちょっとスターすぎる。
 堺雅人は引き回されキャラで、今回の主人公みたいに天然で周囲の人をふりまわすキャラではないし。本木雅弘がぴったりとも思えるけど、意外性がないし。
 ともあれ、そんな(?)主人公・稔のまわりに、20代から50代までいろんな女性がいろんな形でかかわってくる。娘の波十ちゃんも加えるべきだろうから、女性の一代記を通時的ではなく共時的に展開しているともとれます。稔が主人公のようで、ほんとは稔をめぐる様々な年代の女性たちがメインなんだと思います。稔は「かわいらしいといじましいの意味の違いがわからない」人でもあります。この人はどこまでも「読む人」にすぎなくて、自分からは何も書かない。
 そして、小説中小説の使い方がすごくうまい。ふたつでてくるんですけど、最初のひとつは稔だけでなく、稔に勧められて、ソフトクリーム屋の女の子も読んでる。それで読書のはかどり方にタイムラグがある。稔はもう次の本を読んでるときに、その女の子に前の本の感想を言われる。その時間の重なり方が、これは私だけかもしれないけど、怖いと思った。
 村上春樹の新作が話題になってるけど、タイムリーすぎて、すぐに読むのはちょっとと思ってる人には、こちらをお勧めしたいです。
 江國香織ってひとについて、つい思い出すのは、むかしテレビ番組で、アウシュビッツ体験があるユダヤ人作家にインタビューしていたんです。そのとき、江國香織はどういうわけかスキンヘッドだった。相手が不快に感じてるのが画面からありありとわかった。アウシュビッツの生存者にとって、スキンヘッドの女性がどんな印象を与えるか、江國香織が分からないはずもないので、あれはどういうことだったのか、たまたまスキンヘッドにしてた時に、そんな依頼があったってことだったのか、いまだに不思議です。