「表現の自由」ってことを芸人が口にするのは、たぶん馬鹿げている。「表現の自由」は、もちろん憲法で保証されている。他のありとあらゆる自由も認められている。しかし、現実の社会は不自由なことだらけ。だから、笑いが芸として存在できる。
その本音と建前の微妙なズレをつついて見せる絶妙な感覚が、芸人のウデの見せどころなはず。「私には表現の自由がありますので」って、何でもかんでも言い放ってはばからない芸人は、笑芸の存在意義そのものを否定してるのに気がつかない訳だから噺にならない。
オリエンタルラジオの中田敦彦のことを言ってるわけである。
わたくしテレビを見ないので、事の顛末について、週刊SPA!の鴻上尚史の連載で知った。しかし、事の顛末と言っても、それは、茂木健一郎と松本人志の議論についてだ。鴻上尚史によると、茂木健一郎が、日本の笑芸は、ひとつには、「政治批判がない」、だから、「欧米の笑芸に劣る」と批判したらしい。これについて、爆笑問題の太田光が取り上げ、松本人志が公開で反論したらしい。
鴻上尚史は、「笑芸に政治ネタがない」ことと「笑いのレベル」は別のことだと書いている。詳しくは、週刊SPA!2017年6/20号の「ドン・キホーテのピアス」1050回、「お笑いと政治と民主主義」を読んでいただくとよい。
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そこに中田敦彦が入ってきた意味がわからない。「お笑いの素人の茂木健一郎を捕まえて、プロの芸人がやりこめたのがひどい」みたいなことらしいが、論旨がまったくズレていて、擁護されたらしい茂木健一郎も戸惑っているみたいで、「下克上なのかな?」とかツィートしてるらしい。
たまたまネットで、中田敦彦がそれについて語ったラジオ番組の書き起こしに出くわしたんだが、それによると、松本人志から中田敦彦に直接、電話があったらしいが出なかったそうなのだ。それで、ちょっとどうなのかなと思ったのは、松本人志の電話に出なかったってことを、武勇伝みたいに語っているのは、表現の自由っていいながら、相手の反論を受け付けないっておかしいんじゃないかと思って、それで、この記事を書く気になった。
オリエンタルラジオは、去年、歌手として紅白歌合戦に出場した。その出場が決まるか決まらないかって頃に、「今が大事な時だからあれこれ言わないでくれ」と芸人仲間に釘を刺していたと、南海キャンディーズの山里亮太が言っていた。
たかが紅白歌合戦出場のために、芸人仲間の表現を規制する人間が、「表現の自由」を盾に先輩の批判を、ネットに書き込んで、電話がかかってきても出ない。
ダウンタウンも「ごっつええ感じ」で、横山やすしや桂三枝のことをネタにしていた。しかし、それは、客の前でやっていたこと、舞台の上でのことだ。つまり、笑芸としてのことなのである。芸の上ではもちろん先輩も後輩もない。
ネットの書き込みは違うと思う。それに、いざ本人から電話がかかると出る勇気もなく、しかも、それを得意げにラジオで語るって、この人の人間性が見えた気がしている。