「ブルーム・オブ・イエスタデイ」

knockeye2017-10-02

 「ブルーム・オブ・イエスタデイ」っていう、ナチスをテーマにした映画かと思いきやそうでもないかもというトリッキーな映画を観た。
 ナチス映画なのかと思ったら肩透かしを食らった、みたいなレビューもあるけど、孫の世代がじじいの戦争をめぐって泣いたり笑ったりしている姿は、少し引いてみると、たしかに絶好のコメディになりうる。でも、それをちゃんと引いてみられるのは、監督、脚本、制作をひとりで兼ねた、クリス・クラウスの力量だろう。
 最後まで視点にブレがない。凡庸な作家なら出来ないことだと思う。コメディに見せつつ、実は、「最も痛烈な反戦作」とか気どりたくなるかもしれないし、そういうオチの方が、型が決まってるから楽だし、ウケも良いし、カネも集めやすいし、そうでなくても、作家自身の主観的な歴史観がストーリーに顔を出してしまうかもしれない。
 逆に、「ホロコーストの孫世代を主人公にしたラブコメ」と割り切ってしまうと、これはその時点で思考停止で、たとえば、野球でもサッカーでも卓球でも、ストーリー展開は似たり寄ったりのスポ根マンガ、みたいなことになってしまう。この映画はそれとも違う。
 Bunkamuraのウェブサイトによると、クリス・クラウスは、

主人公と同じように、家族にダークな過去があると知り、大変なショックを受けて、自らホロコーストの調査を重ねた。その際に、加害者と被害者の孫世代が、歴史をジョークにしながら楽しそうに話している姿に触れ、本作のアイデアが浮かんだ

そうだ。
 ホロコーストはたしかに大きな悲劇だが、その孫世代にもドラマがあり、それは本人たちにとって、ホロコーストと同じ重さのドラマなのだ。
 主人公のトトを演じたラース・アイディンガーのインタビューによると、ザジを演じたアデル・エネルと車の中で台詞合わせをしているのを聞いて、運転手が吹き出してしまったそうだ。本人たちは大真面目でも、他人が見たらおかしくてしょうがない、これは喜劇の本質だろう。
 アデル・エネルは、「午後8時の訪問者」も観たけれど、あの時思ったのは、笑いが足りないってことだった。ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督については「サンドラの週末」なんかは特に、やりようによっては大爆笑が取れるのにともどかしく思った。
 中国や韓国と歴史問題を抱えている日本でも、こういうアプローチはあるべきだろう。今、慰安婦像がボコボコ増殖中なんだけど、この状況は笑えるっちゃ笑える。
 昨年ヒットした韓国映画「お嬢さん」なんかは、微妙にそこをおちょくった部分もあり、この問題に関しては、両国民とも「本音は」ウンザリなんだろうと思う。
 何度も言うように、慰安婦の存在は否定するはずもないが、「慰安婦問題」は、フェミニズムナショナリズムが混じり合ったいびつなシロモノだ。元慰安婦の方には謝罪して補償すればよいという総論に反対の人は少ないと思うが、個別の証言になると、小さなウソが混じり込んでいて「え?」となってしまう。まだまだ難しい問題であり続けるだろう。
 この映画を「トリッキー」だと先に言ったが、そう思うのは、「ホロコーストを描いた映画はかくあるべき」といった思い込みが観客にあるからだ。その意味でこの映画は破壊的なインパクトがあり、話題になっているのはよくわかる。東京国際映画祭でグランプリを獲得している。
 観終わって、全く関係ないのかもしれないが、「ゴジラ」のことを考えた。ゴジラが、日本人にとっての原爆と戦争を暗喩しているのは間違いない。しかし、今ではゴジラのイメージは原爆も戦争も超えてひとり歩きしている。おそらくゴジラの強烈なイメージは、戦争や原爆そのもののイメージよりはるかに長く生き続けるのだろう。
ラース・アイディンガー インタビュー