キング・オブ・コントに見るお笑いライブシーンの熟成とテレビの終焉

knockeye2017-10-08

 キング・オブ・コントはかまいたちが獲得した。私はテレビを観ないので、バナナマンのバナナムーンゴールドで聞くだけだけど、この審査員ってのが、松本人志さまぁ〜ず、そしてバナナマンっていうこの組み合わせが面白いと思う。
 松本人志がずっと前にインタビューで答えていたことに「ストロングスタイルは僕たちで終わり」ってのがあった。
 ストロングスタイルって言い方が面白いのだけれど、それこそテレビの草創期から始まったコメディ番組、クレイジーキャッツの「シャボン玉ホリデー」から、コント55号ドリフターズ、「ゲハゲバ90分」「ひょうきん族」といった、「わたしたちコメディアンです、今から面白いことやります」で1時間ひっばるって番組は、たしかにダウンタウンで終わったのかも知れない。キング・オブ・コントの審査員席にナインティナインはいない。
 ただ、松本人志の代わりに内村光良じゃ何故いけないのか?、とか、さまぁ〜ずじゃなくネプチューンバナナマンの代わりにおぎやはぎだったらどうなの?、とか。内村光良の内Pとか、今NHKでやってる「LIFE!」とか、おぎやはぎの「ゴッドタン」は、松本人志の言った「ストロングスタイル」と言えないものかと考えてしまう。
 バナナマン設楽統がそのラジオで、準優勝のにゃんこスターについて、あの決勝戦自体が最高のお膳立てになっていて、たぶん彼らはこの先も、あんなにおいしい状況でやれることはないんじゃないか、てな事を話していた。そして、「ライブシーンでは、もっと変なことやってる人がいっぱいいる」と。
 じつは、その一言を聞いたのでこれを書いているんだが、お笑いの「ライブシーン」、音楽じゃなくお笑いの「ライブシーン」ってのがいつ頃から現れたんだろうかと考えてみている。
 東京の笑芸といえば、江戸落語の寄席まで遡らないとしても、戦前の浅草オペラに起源を求めうるほどの長い歴史がある。しかし、それが一時期途絶えていたこともホントだろう。北野武がツービートだった時代、浅草の灯を絶やすなみたいな事を言う評論家を茶化したりしていたそうだ。その頃の東京にお笑いのライブシーンなんてものがあったとは思えない。
 つかこうへいが牽引した小劇場ブームがその萌芽であるかも知れない。が、それはまだお笑いのライブシーンとは違うと思う。しかし、つかこうへいが、漫才ブームは自分のパクリだと書いている文章も確かあった。テレビのお笑いを充分に意識していたってことだろう。
 では、いつ頃から東京のお笑いのライブシーンが復活し始めたのか。私はたぶん「ひょうきん族」以降にその種が蒔かれたんじゃないかと思う。
 たとえば、それ以前のコント55号は、もともと浅草から出てきている。彼らにとっては、浅草のストリップ劇場からテレビへと向かうベクトルが挑戦のモチベーションでありえた。テレビがキラキラしているからこそライブシーンが衰えたのはほんとうだろう。
 しかし、ひょうきん族になると、出ずっぱりなのは、北野武明石家さんまだけ。他のメンバーがテレビの外に活躍の場を求めたとしても不思議じゃない。現に、渡辺正行が、ラ・ママ新人コント大会を立ち上げたのだ。バナナマンも、その出身だし、東京の笑芸のライブシーンがふたたび息を吹き返したのはそのあたりだったのではないか?。
 大阪は吉本があるので、東京とは少し事情がちがって、芸人が客の前で笑芸を披露する花月という舞台があった。阪急電車京都線に乗っていると、京都花月からうめだ花月に移動する芸人に出くわすことがあったものだ。
 ただ、東京でのライブシーンのように、若い世代を集客しはじめたのは、心斎橋2丁目劇場からだろう。ダウンタウンを育んだ劇場である。東京の人はテレビのダウンタウンしか知らないはずだが、ダウンタウンは「板の上に乗っている」と言うのだが、劇場の経験が長いのだ。島田紳助ダウンタウンを評価していたことはよく知られているが、彼だけでなく、私の知る限り、オール巨人も、横山やすしも、坂田利夫も、海原小浜も、喜味こいしも、ダウンタウンを評価していた。それは、板の上の彼らを見ているからだ。ことにNGKは、一斉を風靡した歴代の先輩芸人と、同じ客の前で芸を披露する。笑いが取れるか、取れないか、どんな誤魔化しも効かない。
 キング・オブ・コントの審査員に共通しているのは、ライブシーンの経験なんだと思う。石橋貴明が保毛田保毛男をやると炎上するテレビは、笑芸人にとってもう魅力的な媒体でなくなっているだろう。
 いま、芸能界でお笑いタレントのセンターにいるのはバナナマンだと思うが、よく言われるように、彼らはじつは、松本人志ストロングスタイルと言ったような意味での、自分たちのコメディ番組を持っていない。彼らの芸のコアは、すでにテレビではなくライブにある。ライブシーンで一番輝いている芸人が、テレビのセンターにいるってことは、象徴的な現象なんだろう。
 いま、テレビという媒体でのお笑い番組は、笑芸を見せる場ではなく、こんな笑芸人がいますよという情報を知らせる情報番組にすぎない。笑芸に触れようとすれば、ライブに行くしかない。その意味で、テレビが面白くないのはむしろ、当然なんだろうと思う。
 そういえば、高橋一生が「カルテット」に出演してマスコミで取り上げられるようになったとき、「遅咲き」とか「長い下積み」とか書かれることに、鴻上尚史が憤慨して、「マスコミの文化への理解は田舎のおじさんレベル」と書いていた。テレビの人間は、いまだに「テレビに出してやる」という意識でいるのかもしれない。多くの人がとっくにテレビを見捨てているのに気がつきもせず、「文化への理解が田舎のおじさんレベル」で、文化の中心にいる意識はかなり恥ずかしい。
 ヒロミが再ブレイクしているのも、テレビを見捨てた先駆者だからかもしれない。