「バリー・シール」、「アトミック・ブロンド」

knockeye2017-10-22

 「バリー・シール」、「アトミック・ブロンド」。
 「バリー・シール」は、週刊現代井筒和幸もレビューに書いていたが「アメリカをはめた男」どころではなく、「アメリカに踊らされた男」ってのが正しい。マシュー・マコノヒーの「ゴールド」も似たような展開だったけれど、あちらは最後にうっちゃりが決まる。こちらの結末 はむしろ切ない。ので、少なくとも最後の方は、バリー・シールの一人称ではなくて、第三者(たとえばバリーが雇っていたパイロットとか)の視点で突き放した描き方をした方がよかったかも。
 そうは言っても実話なので、プロットよりディテールに実話ならではの面白みがあって、そちらで見せるべきでそちらを見るべき映画だろう。たとえば飛行機マニアックなあるあるとか、CIAの無茶苦茶ぶりとか、南米の、ゲリラと軍事政権と麻薬マフィアの破茶滅茶ぶりとか、バリーのマネーロンダリングのおかげで田舎町がバブルに沸くところとかは、かなり面白かった。
 週刊文春の映画評では、芝山幹郎が、トム・クルーズは飛行機と相性がいいと書いていた。
 「アドミック・ブロンド」は、「マッド・マックス 怒りのデスロード」のフュリオサ以来アクション女優の需要が増えているのか、シャーリーズ・セロンが、壁崩壊前夜のベルリンに乗り込んでKGB、CIA、MI6などと三つどもえの駆け引きを繰り広げるスパイアクション映画。だが、ベルリンの壁崩壊は雰囲気づくりに使われてるだけで必然性はない。
 あえて言えば、映画の台詞にもあるように「ベルリンが好き」なんだろう。スパイ映画には東西冷戦が欠かせない。東西冷戦のないスパイ映画なんて・・・ってわけ。東西冷戦は、冷戦のまま終結したから、派手な戦闘シーンではなく、スパイが映画の主役になる。テロの時代を生きている今から振り返ると懐かしい感じ。しかし、明治維新が、新撰組鞍馬天狗のチャンバラになって、やがて飽きられるように、そろそろ賞味期限が切れかけていると思わんでもない。ちょっとそらぞらしく感じた。賞味期限というより現在の状況との関わりが切れているのだろう。
 生身になった草薙素子みたいな、そんな感じだった。アングルとか色彩設計とかももしかしたら攻殻機動隊を意識しているのかもしれない。レズだし。
 「バリー・シール」は実話、「アトミック・ブロンド」は虚構なんだけど、どちらもCIAがなんでもありなのが可笑しかった。