「ボブという名の猫」

knockeye2017-12-23

 「ボブという名の猫」。
 実話だし、ボブを演じている猫は本当に当のその猫のボブなんだそうだ。主人公が出逢った最初はホントの子猫だったんだろう。人懐こい茶トラの猫で、つくづく働き者だ。
 
 主人公は薬物依存から抜け出すための治療中。薬物依存になった人たちに、英国でどんな感じのケアが行われているかが垣間見える。ホームレスのままではってことで、カウンセラーみたいな人が、部屋をあてがってくれる。なんか、空き家になったボロなアパートみたいなところで、そういうのをホームレスに無償で提供するプログラムがあるみたい。
 その部屋に迷い込んできた猫のケガがキッカケで、隣に住んでる女の子と友達になる。猫をボブと名付けるのも彼女。
 こんな可愛い子がなんでこんなボロアパートに?、と思ってたら、この子のお兄さんが、主人公と同じく薬物依存で、クスリから抜けられずにその部屋で死んだそうだ。
 いったん薬物依存になると抜け出すのは大変で、この女の子の兄さんみたいに、抜け出せないケースの方がたぶん普通なんじゃないだろうか。
 それがこの主人公の場合は、1匹の猫が迷い込んだおかげで、すべてがぱたぱたとうまく運んで、路上で心臓麻痺みたいな事態を回避できた。
 いったん「転落」した人が「普通」に戻ってくることは難事業だと思う。まず「普通」を見つけなきゃならないからね。こりゃなかなか難しい。主人公は「最後にクリーンな状況で親父と会ったのは11歳の時だった」と言うのだから、薬物依存の「責任」とかについて論じるのはピントがずれている。
 むかし、オリビエ・アサイアス監督の「クリーン」って映画を観た。映画監督の青山真治が「自分はこんな映画を作るべきだ」っていたく感動したようなレビューを書いていたが、当時のわたしとしてはなんだかピンとこなかった。青山真治監督の映画の方が断然いいと思った。
 「クリーン」というタイトルがストレートに示しているように、薬物依存から生還したばかりの女性が主人公の映画だった。少なくとも当時のわたしにとっては薬物依存全般が遠い話だった(今もだけど)し、中島らもとか西原理恵子とかが書いているアル中の話の方がまだ近く感じられたが、今観たらどう思うかわからない。
 しかし、「普通の少年がヒーローになる」って映画に比べて、「転げ落ちた少年がまた普通になりました」って映画はなかなか難しいのに、これはよく出来てると思う。お客さんもいっぱい入っていた。