去年の暮、新幹線で帰省しながら、車窓を眺めつつ、今年は久しぶりに飛騨古川の三寺詣りに出かけようかと思いついた。いつぞやみたいにまさかの雨ってことはなさそうなこ寒さなので雪像の蝋燭が映えるのではと思ったわけだった。
当日では、宿がとれないのは経験済みなので、とりあえずネットで宿だけ予約したあと、往復のルートを検討してみたが、これはとてもじゃないけど一日休むだけでは済まないってことが判って、新大阪に着く前に宿をキャンセルした。
それでも名残惜しく深夜バスで何とかならないかと検索してみていたが、そのうちヒットした記事で、三寺詣りも有名になってしまって、昔みたいにしっとりした風情ではなくなっているというのを読んで、わざわざ遠路を出かける気が殺がれてしまった。
ただ、まあ。そもそもの昔から、親鸞聖人の報恩講にかこつけて、実は男女の出会いの場という意味合いの濃い行事であったらしく、「嫁を見立ての三寺詣り」と地元の小唄に唄われていたそうだ。雪深い門前町とそんな華やいだ雰囲気のコントラストがあの祭りの魅力だと思う。近くに住んでいたらでかけたいところなのだけれど。しかし、今年は逆に雪が多すぎて、もし出かけていたら足止めを食らったかもしれない。
そんなわけで、なんとなく旅に心を残しつつ迎えたこの週末ということもあり、じゃあ、大磯の左義長に行ってみようかなと思ったりした。しかし、結局出かけずに読書に過ごしてしまった。あの祭りも間違いなくフォトジェニックだが、個人的な感想としては、火入れの時刻が遅すぎる。この季節18:30はとっぷりと暮れている。まだ残照がかすかに残っているくらいの時に火入れしてもらえれば、「絵的には」さらに良いと思う。せっかく土日開催に変更したわけだから、一時間か一時間半早くやっても来れない人が出るとも思えない。万一の不安があるのなら、時間差で15分くらいずつずらして火入れしていけばよいのではないか。観光客の勝手なお願いではあるが。
で、何の本を読んでいたかというと、須賀敦子の書評を集めた『塩一トンの読書』。『細雪』の分析は圧巻だった。昔、読書系のメーリングリストにはいっていたころに、毎年一回『細雪』を読み直すという人がいたが、私ももう一度読んでみようかなと思った。
ゲーテの『イタリア紀行』は私はたぶん読んでないと思う。「たぶん」って言ってる時点で、読書の質がばれようというものだけれど、『詩と真実』を読んで、『イタリア紀行』にかかろうとしたころ、身辺に変動があった記憶があるのだ。いずれにせよ、古い話になってしまった。