- 作者: 吉田健一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1994/10/04
- メディア: 文庫
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教科書で習ったヨーロッパは、ギリシア、ローマから始まって、中世、ルネッサンスと時代が降っていくが、吉田健一に言われてみると、なるほどそうだなと思うのだけれど、実際の順序は教科書の年表とは逆で、今のヨーロッパの人たちの祖先は、ローマ帝国が衰退したころ、どこからか移り住んできた人たちで、彼らがそこに定住した頃の自己認識としては、キリスト教文化圏という意識だった。ヨーロッパという意識が出来上がる以前にキリスト教圏という意識があった。
古典古代が、ヨーロッパの人たちに再発見されるのは、それからはるかに後の時代、ルネッサンスになってからなのである。
ゲーテが仏教について書いている文章があって、そこで、自分たちの古典がギリシアの明晰な哲学であることを喜んでいる。ゲーテが仏教について正確な知識を持ちえたかどうかはさておき、ゲーテにとっては、自分たちの教養の淵源が古代ギリシアにあることは自明だったわけである。
でも、ゲーテのご先祖様を何代か前までさかのぼっていけば、それは自明どころか「はあ?」ってことになる。特に、ドイツは古典古代とかすりもしてない。
ヨーロッパの人たちは、古典古代を発見することで、文明を手に入れた、か、そうでなければ、ヨーロッパの人たちが文明を手に入れたことで、古典古代を発見できたと言えそう。
そうしたヨーロッパの文明がもっとも豊かだった時代を、吉田健一は、18世紀だったと指摘して、いくつかの例をあげている、その中の、ホレス・ワルポールについて書いている章は、なるほどヨーロッパの18世紀とはこういうことかと納得させられる。
もちろん、ヴォルテールや18世紀の女性たちについて書いた章もよいけれど、ホレス・ワルポールっていう、恥ずかしながら、初めてお目にかかる名前の人が、こんなに魅力的っていうギャップが刺激的なわけである。
「ヨオロッパの十八世紀の人間で差し当たりホレス・ワルポオルを選ぶのは全くの偶然と言っていい位のことで、更にヨオロッパの十八世紀というものに最初に気付いてモツァルトもワットオも同じ十八世紀のヨオロッパの人間であることに思い当たったのがワルポオルを通してだったという個人的な事情があるに過ぎない。」
と吉田健一は書いている。
また、「十八世紀に入るとこの時代に文学と呼ばれているものの大半が手紙である。」とも。
英文学史を習うと、サミュエル・リチャードソンの『パメラ』という書簡体小説が近代小説の始まりと教えられるので、もしこれが早押しクイズに出たら答えられる。しかし、「十八世紀の文学の大半が手紙だ」といった吉田健一の言葉は、実際にその沃野に踏み込んで渉猟してみた人でなければ言えない。
「十八世紀のヨオロッパが文明の時代だったのが文明と見做す他ない条件をこの時代が備えていたからでそれ以外のことをこれが保証するものでないことは既に書いて来たことで語り得た筈である。例えば文明はその性質からして優雅と同義語であるがその優雅は人間の振舞いにあり、これを要約すれば一つの形式上の問題であってそれは振舞いとは別に人間のどういう行為も、又その人間がどのような目に会うことも阻むものでも助長するものでもない。併しその優雅の観念が一つの常識になって受け入れられている人間の集団を見る時に我々はそれを文明と呼ぶ。」
そう十八世紀に頂点を迎えたヨーロッパの文明が、19世紀に入るとふたたび野蛮に堕し始めると吉田健一は観ている。
「この時代のことを読んでいると目も当てられないという言い方で表される感じに何度も誘われる。それがこの時代の説明になるのであってもそのようなことを並べて見た所で面白くもない。」
吉田健一が19世紀のヨーロッパについて書いている部分は、現在の日本の「文春砲」なんかが正義の鉄槌であるかのように思われている状況と比べ合わせてみると考えさせられる。19世紀のヨーロッパは、シェークスピアの台詞のある部分が削除されて出版された時代だった。
海外でも、最近、「マンチェスター市立美術館がウォーターハウスの《ヒュラスとニンフたち》を撤去」というニュースがあったのだが、ウォーターハウスの裸婦を少女ポルノと同一視しているのだが、大丈夫なんだろうか。
19世紀に、逆に好まれていた小説の一例として吉田健一があげているのは、ベルナルダン・ド・サン・ピエールが書いた「ポールとヴィルジニー」という小説。二人の乗った船が難破して、ポールはヴィルジニーを救おうとするが、その時のポールが上半身裸だったので、ヴィルジニーは、男の裸を見るより死を選んだって筋書きだそうだ。吉田健一は「こういうのを猥褻と言う」んだと書いている。
残念なことには、私たち日本人が明治維新で初めて接したヨーロッパの社会がこの状況だったことで、鹿鳴館とか西欧コンプレックスの極みででっちあげられたグロテスクなことどもの中には、笑うに笑えない結果をもたらしたものもあると思う。
このような転機をもたらしたもののひとつはやはりフランス革命で、これについての引用は少し長くなるが
「それではロベスピエェルは十八世紀が生んだ人間ではないのだろうか。これはフランス革命そのものと同じでロベスピエェルで十八世紀のものと認められないただ一つのことは人間の限界がこの人間にあっては見失われていることである。このことをもっと正確に言えば人間の限界がロベスピエェルに見えていなかったのではなくてその限界があるからこれを超えるべきものと考えたのであり、もし自由と平等とかが人間の限界の撤廃による人間の完成に即してしか実現出来ないものならばその限界も巧妙に活用して人間を完成に向かわせる他なかった。そしてこの十八世紀との違いは重要であってそこからヨオロッパの十九世紀が始る。フランス革命が人間の完成を実現したのではない。併しこの時に人間の歴史の上でそれまでになかった変化が生じたことは確かで人間ではなくて観念の限界を験すということが行われることになったのであり、それまで優位にあった人間に対して観念がそれを占めるなったのである。」
こうして観念が人間の上位に置かれるようになったヨーロッパの人たちが陥った状況は「偽善であるよりむしろ分裂」だったと吉田健一は指摘する。この痛々しい分裂は、19世紀の西欧列強に伍して立ち振る舞わなければならなかった日本にとっても他人事ではなかったと思える。
この本の最後は、アルチュール・ランボーとポール・ヴァレリーの2章で締めくくられる。19世紀の悪夢をつぶさに見てきた後だけに、この二人の生き方は深い余韻を残す。特に、個人的には、19歳であっさりと詩人をやめて普通に生きたランボーに何か不思議な共感を覚える。それは、遁世というような東洋的な価値観にダブらしてしまうためだと思う。おそらく全くの見当違いのはずだが。