村
鹿は角に麻縄をしばられて、暗い物置小屋にいれられてゐた。何も見えないところで、その青い眼はすみ、きちんと風雅に坐つてゐた。芋が一つころがつてゐた。
そとでは桜の花が散り、山の方から、ひとすぢそれを自転車がしいていつた。
脊中を見せて、少女は藪を眺めてゐた。羽織の肩に、黒いリボンをとめて。
三好達治『測量船』より
今年の私は桜の開花を読み外している。
ハーブガーデンの河津桜はちょっと早すぎたし、一ノ堰ハラネの春めき桜は散り初めていた。
春めき桜は香りの高い桜なんだが、さすがに散り始めのころともなるとあまり匂わないようだった。
春木径の春めき桜はちょうど見ごろという情報だったが、あそこは川沿いの並木道なのに、背景が工場なので、景色としては単調になりがちだと思っている。
もちろん、そぞろ歩いたり、お弁当をひろげたり、スケッチしたりするにはよいのだろうけれど。
パースペクティブは、一の堰ハラネの方が良い気がする。
それに、ユージン・スミスみたいな坂道があったり。
ここにこましなモデルでも歩いていれば絵になるのではないか。
この後、展示替えになった静嘉堂文庫の歌川国貞展に行った。ほぼ、全点展示替えだった。
前にも書いた通り、あるいは、ご存知の通りか、国貞は「二世豊国」を名乗っていたが、二世豊国は、国貞以前にもう1人いるので、現在では、国貞を豊国と称する場合、三代豊国と呼ぶのが普通になっているし、その方がわかりいいんだけど、静嘉堂文庫ともなると、そこは、なんつうのか、堂々と「豊国」のまま放り出していた。
初代の豊国なのかなと一瞬思ったが、そうではなさそうなのは、年齢が七十いくつとかで、そうなると、初代ではおかしいことになる。
永井荷風によると、国貞は、豊国を名乗る前のものに良いものが多いそう。そうなのかなとも思った。
個人的には、今まであまり国貞の絵に感銘を受けたことがなかったが、静嘉堂文庫のコレクションはさすがに良いものが多かった。国貞は長命で多作だったせいもあり、選別は必要なのかもしれない。
何かグラビアを思わせるような絵だと思う。
《神無月はつ雪のそうか》。「そうか」とは夜鷹のことだそう。初雪の頃というのに裸足のものもいる。こういう愚直な描写は、他の浮世絵師にはない感じかも。