「素敵なダイナマイトスキャンダル」

 この映画は、監督の冨永昌敬による持ち込み企画なんだそうだ。末井昭って人の同名の自伝的エッセーを原作にしている。
 「ダイナマイトスキャンダル」ってのは、ダブルミーニングっていうのもおかしいが、比喩ではなく文字通りの意味で、子供の頃、母親が隣家の息子と関係を持った揚句に、父親が山の仕事で使っていたダイナマイトを使って心中したっていう経歴を持つ主人公で、「母はダイナマイトで自分を都会まで吹き飛ばしてくれたのかも」と述懐したりする。
 母親のその派手な心中が、主人公の運命を変えたことは間違いないが、その後の主人公を見ていると、どちらかというと、主人公が周りの人たちを巻き込んでいったように見える。
 主人公の末井昭って人が、もし何かだったとしたら、その何かは、作家みたいにひとりで紡ぎ出した何かではなく、むしろ、そんなひとりひとりの人たちを、いっしょくたに巻き込んでいく、そういう何かだった気がする。
 その価値には、いったん気がつきにくい。作家の価値ではなく、編集者の価値には。菊地成孔か演じている、「写真家の荒木さん」が、女の子を脱がす時に口にする「ゲージュツ」は、確かに芸術かもしれないし、末井昭が怪しげな雑誌を発刊しなくても、その芸術はどこかで生まれたかもしれないのだけれど、しかし、事実として、その「ゲージュツ」が生まれたのは、その現場に違いなかったのだし、その現場に、荒木さんだけでなく、いろんな人たちが巻き込まれていった。主人公がそういう場を作ったというより、彼自身も巻き込まれていった共同作業に見える。
 それを時代の空気といえば確かにそうも言えるだろうけれど、それは冨永昌敬監督の演出によるところも大きい。街の若々しい暗さだったり、メガネが曇っていたり、なぜか怪我してたり。
 巻き込まれていくのは男たちだけでなく女たちもそうで、この映画を魅力的にしているのは、個性的な女優さんたちであるのはもちろんだ。
 母親の尾野真千子、奥さんの前田敦子、不倫相手の三浦透子、キャバ嬢の木嶋のりこ。特に、不倫相手の笛子を演じた三浦透子は圧巻だった。行動型の主人公の熱意に惹かれていく、受け身の恋のもの狂わしさ。これは脚本も見事だった。
 圧巻で思い出したけど、主演の柄本佑は、原作者の末井昭に「他人とは思えない」と言われたそう。「おかしな男 渥美清」のドラマで主演を演じた時も原作者の小林信彦が褒めていた。
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