月曜日には週刊現代を買う。その中の「ジャーナリストの目」っていうコーナーに青木理が、「この国のジャーナリズムの存在を政権に知らしめた朝日スクープの意義」っていう文章を書いているのだが、まず、「ジャーナリズムvs.政権」っていうその構図は、いわば当然でもあるのだし、目下の「森友問題」がまだ一体何がどうなっているのか皆目分からない状況で、そこにフォーカスするのがジャーナリストとして正しいのかどうか、ちょっと疑問に思う。
「政権は(略)いまのところ佐川信寿・前国税長官にすべての責を押しつけて逃げ切りを図る構えたが」とあるのだが、特に、そんな「構え」にも見えないし、それに、間違いなく責任がある佐川信寿という役人を、かばい立てする理由がわからない。
まったく逆の見方もあって、AERAに、佐藤優は
財務省は約80ページもの報告書を発表したが、上層部の誰までが改ざんの意思決定に関わったのか、という肝心な部分は隠している。霞が関では、決裁書のコピーを取って局長や官房長、次官など上に見せる追加配布(追配)という情報共有の方法がある。
この追配を追っていけば、どこまで組織ぐるみだったか、一目瞭然だが、今回の文書には追配に関する情報はない。昭恵夫人や政治家の名前は派手に出し、肝心な部分から目をそらそうとしたのではないかとさえ思える。
と書いている。
だとすれば、話はまったく逆ってことになる。
政権に責任があるかないかは、真相が明らかになってからでなければいえないはずなのに、まず政権に責任ありきで論を推し進めるのがジャーナリストのあるべき態度なのかどうかはいうまでもないと思うのだが、青木理によると「改竄の事実発覚の端緒となったのが朝日新聞のスクープだったのは、この国のメディアとジャーナリズム界にとって意義深いことだった。」ということらしい。
さっきの佐藤優の記事を掲載したのはAERAなのだ。朝日新聞の系列の雑誌でさえ、慎重に多角的に検討している段階なのに、朝日新聞にどう関係しているのか知らないけど、この青木理って人は、問題の本質をそっちのけで朝日新聞を持ち上げているんだけど、大丈夫なんだろうか?。
その先を読み進めていくと、2014年の慰安婦問題の話を蒸し返している。それは、だから、朝日新聞が30年間も誤報を放置したんだから批判されて当然だし、それを訂正しながらも謝罪しなかったんだし、そして、それを批判した池上彰の記事を掲載しなかったんだし、無茶苦茶だったのであって、その批判の背景に「歴史修正主義」的な背景があったとか、どっちが「歴史修正」なんだよ。
このところ、ニューズウィーク日本版に、コロンビア大学のキャロル・グラック教授の歴史と記憶をテーマにした4回連続の講義が、断続的に掲載されていて、色々と考えさせられた。
Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2017年 12/12号 [コロンビア大学特別講義 戦争の物語]
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特に、日本とドイツの戦後の違いについては、ひとつには、周辺国家との関係の違いで、ドイツの場合は、ヨーロッパの国々との戦争だったのに対して、日本の戦争は、「太平洋戦争」、つまり、真珠湾攻撃に始まり原爆で終わったアメリカとの戦争が、第二次世界大戦と同義であったのは、中国が東西冷戦の東側陣営に入ってしまって、日本における戦争の歴史と記憶は日米間で処理されざるえなかったために、真珠湾攻撃以前の部分は、歴史からも記憶からも抜け落ちてしまったというのは、今まで特に意識していなかったのが不思議なくらいで、たしかに、日本人が戦争という時、それは真珠湾攻撃から始まったと思っていて、ノモンハンとか満州とかは、戦争と呼ばずに事件とか事変とかいうのになんの疑問も抱いていなかった。
しかし、中国にとっては、真珠湾の遥かに以前から戦争は始まっていたのであって、歴史修正主義も何も、中国が経済大国に台頭してきたと足並みをそろえて、事実上歴史が変わったのである。歴史自身が自ずから変わったのである。
そして、日本の戦争の歴史を日中戦争にまで射程を伸ばして見るとき、その責任者は、中国で暴走する関東軍の軍官僚なのであって、軍の暴走を政治がコントロールできなかった、civilian controlのなさなのである。
今回の、官僚が勝手に文書を書き換えるなどということは、まさにcivilian controlに関わる問題なのであって、それは、日本の国家存亡の危機を惹起した、戦争の原因と同質のものである。なので、これを「現政権と支持勢力が煽る歴史修正的な風潮」などという批判はまったくお門違いであり、それこそ、歴史的な視点を欠いている。
ここで、civilian controlを回復せず、この問題を単に政争の具として「政権へのダメージ」などといっているようでは、それこそ戦前の二の舞であると思われる。
それに関連しているかもしれないが、ドイツと日本のもう一つの違いは、1968年という分岐点で、そのころ、ドイツでは若者がその父親の世代に対して抗議する「68年世代」と呼ばれる、「お父さん、戦争で何をしたの?」と自分の父親に問いただす運動が起こった。その結果として、その翌年に、ドイツでは政権交代が起こった。日本でもそのころ学生運動が盛んになっていたわけだったが、日本では、政権交代が起こらなかった。このことが、今に至るまで、日本の政治が機能しない最大の原因であるように思う。
ドイツといったが、当時は西ドイツであった。冷戦時代、国が東西に分裂していたことが、西ドイツに政権交代を可能にしたかもしれない。冷戦期の日本に社会主義的な政権が誕生することは、多分、アメリカが何としても阻止しただろうと思われる。実際、阻止したのもしれない。ソ連の影響が日本に及ぶことを、警戒していたのは間違いない。
政権交代が起きないことが、政治家と官僚を野放図にした。冷戦後、日本に政権交代がなかったわけではないのは、いうまでもないが、選挙で国民が政権を託した、細川政権と鳩山政権がともにまともに機能しなかったことが、結果的に、今の日本の民主主義を麻痺させている。
この二つの政権が一年も持たずに崩壊したについては、田原総一郎が「政策に興味がない」と評した一人の政治家の顔が思い浮かぶだろうが、誰のせい彼のせいということをひとまず措くとして、この問題はやはり、政権交代の受け皿が存在しないことなのである。
以上のように考えてくると、今必要なことは、civilian controlを確立することで、内閣人事局をやり玉に挙げるなどはとんでもない。
もうひとつは、政権交代の受け皿となる野党が育つこと。なのであるが、civilian controlが危機に瀕している状況を前にして、「安倍政権にダメージ」とか言って喜んでる政党に政権を委ねられるのか、懸念せざるえない。