『晩春』

 神保町シアター小津安二郎監督の『晩春』。2018年の初夏に、1949年の小津映画を観ている。ただ、これは先日の『麦秋』みたくデジタル・リマスターされていないので、かなり傷みがあった。この6月に「小津4K」として、小津安二郎監督の7作品が4Kデジタル修復版で上映されるので、そちらも楽しみにしたい。

 小津安二郎監督が原節子を初めて起用した作品で、原節子が「紀子」という名の女性を演じる『麦秋』、『東京物語』とあわせて「紀子三部作」と呼ばれている。
 舞台は、『麦秋』とほぼおなじ北鎌倉駅あたりで主人公父娘が暮らしている建物も同じだと思う。何なら、カメラ位置もほとんどそのままじゃないかと思うくらい。
 しかし、時期が決定的に違っていて、『晩春』では、まだ日本はアメリカの占領下にある。紀子が、宇佐美淳の演じる服部と自転車で出かける海辺の交通標識は英語で、しかも、マイル表示である。
 『麦秋』でも、紀子のすぐ上の兄である次兄が、出征したまま帰らない背景が語られているが、『晩春』では、紀子自身が、戦争中の勤労奉仕で健康を損ねていたのから、最近やっと回復しつつあると仄めかされている。
 この服部という男性は、紀子の父(笠智衆)が務めている大学の助手といった立場なので、『麦秋』に置き換えれば、紀子と最後に結ばれる位置の男性だが、『晩春』では、他の女性と結婚することになっている。しかし、そのフィアンセは姿も見せない。
 この砂浜で交わされるタクワンをめぐる会話は意味深長で、このふたりにかつては淡い(かどうかわからないが)恋愛感情があったことが、その後のバイオリンの演奏会のシーンでも想像できる。演奏会で服部の隣に誰もいない椅子が、本来ならそこにいるべき人の欠落感を示しているのは当然だが、その欠落感の本質が戦争と敗戦と無関係だと考える方がおかしい。
 服部は年齢から考えて兵役を経験したと考えていいだろう。もし、そうでなくとも、敗戦国の男であるには違いなく、占領下の敗戦国ではその意味は軽くはない。国を失った男の欠落感を捉えられないなら平和ボケの極みだろう。
 『晩春』は、娘が父に対して抱く恋愛感情という見方で語られることがあるが、そういう固定観念からは、もう解放された方が良いのではないかと思う。
 戦争と敗戦がもたらす男性不信は、むしろ当然だし、その戦争のために青春が喪われた悔しさ、取り返しのつかない絶望、という時期を通り抜けてきた、1949年に27歳になるひとりの女性、しかも、早くに母親を失って、結婚生活を具体的に想像できない女性が、新しい人生に希望を持たずにいるとしても誰も責められないし、というより、おそらくは、そのような絶望に気づいてあげられる人は、もしかしたら、いないのかもしれない。
 戦争も終わって、一時の病も回復して、原節子のような美貌で、そこにどんな絶望があるのか、と人は思うはずである。
 しかし、戦争が、この人に絶望を見せてしまった。社会や家族や人間についての信頼を突き崩してしまった。しかも、世界はこの人を置き去りにして、素知らぬふりで復興していく。そのことをこの人は許せない。つい4年前まで戦争のために勤労奉仕していたという、背景を無視すべきではない。
 このまま父のそばにいたい、このままでいたいという思いは、ときどき語られるような、「エレクトラ・コンプレックス」というよりも、もっと存在論的な絶望であると私には思える。
 再婚した叔父を「不潔」だという心理をエレクトラ・コンプレックスというのはおかしい。叔父が再婚した相手と実際に会った京都旅行で、「不潔だなんて言って悪いことした」と反省する、その同じ会話で、「このままでいたい」という告白をするのだから、映画の冒頭近くで叔父に「不潔だ」と言った自分の心理の根っこの部分に、この時の紀子は、もう触れかかっている。
 紀子を、父親が諭す笠智衆の長い台詞のシーンでは、今でも観客席にすすり泣きの声が聞こえる。それは、紀子の絶望の闇に何とか思いを届かせようとする、必死の声だからである。
 恋愛が、つまるところ、セックスをめぐる幻想にすぎないと、知らない人がいるだろうか?。しかし、そうであっても、最後まで人にに寄り添うのは、セックスではなく、恋愛という幻想の方なのだと、気づかずに人生を終える人がどれくらいいるだろうか?。人は、生殖行為という現実のためではなく、恋愛という幻想のためにしか生きられない。
 この『晩春』は、戦争で喪われたひとりの女性の、回復と再生の物語であると、私には思えた。ひとりで人知れず、絶望している人が、もう一度、生きてみよう、自分に希望を持ってみようと思うことは、実は、とても難しい。戦争に踏みにじられて、そんな風に、死んだような心を抱えて生きている人も少なくはなかったのではないか。
 『晩春』は、ストレートなメッセージを、そういう人たちには伝えたのではないかと思う。
 最後に残された父の孤独は、だから、一方で父性の回復でもある。父の背中が寂しいのは、むしろ、そうあるべきで、それはまた、父という物語のエピローグなのである。
 笠智衆の回想するところによると、このラストシーで、小津安二郎は、慟哭してくれるように演出していたらしい。笠智衆は、生涯でただ一度、この時の演出に首を振ったそうだが、後になって、できるできないはともかく、一度はやってみるべきだったと語っている。
 たしかに、娘を嫁にやったからといって「慟哭」するのはおかしい。しかし、彼自身が絶望していたとしたら?。彼が紀子のためには説いた希望を自分自身には信じられないとしたら、その幻の慟哭シーンの意味も理解できる気がする。