- 作者: 吉田健一
- 出版社/メーカー: 講談社
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- 作者: 吉田健一
- 出版社/メーカー: 講談社
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各章はただローマ数字を割り振られているだけだが、吉田健一の考え方がよく伝わる。
吉田健一の文章は、引用して紹介できない。部分を切り取って、全体の雰囲気だけでも伝えることができればと思うが、それができる気がしない。
あるいは、どこを切り取っても、雰囲気だけは伝わるかもしれないが、その引用した部分について、何かを書こうとすると、さらに続けて引用するしかなくなり、結局、全部書き写すことになる。これは、吉田健一を読む人には同意していただけることと思うが、吉田健一を読まない人にこの魅力を伝えるには、どうすればいいのかまったくわからない。
『文学概論』は、ぐっと若く、1961年に刊行されている。後記に「この本の初めに断ってある通り、文学概論などというものは実際にはないので、それにも拘らず、この言葉が行われているので題名に借用したまでのことである。この本を書いた目的は、文学に就いて概括的に論じるというような中途半端なことよりも、自分にとって文学というものが何であるかをはっきりさせることだった。」とあるように、タイトルから想像されるものとはかなり違う。個人的には、吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』と比較できる気がした。
「言葉」、「詩」、「散文」、「劇」の四つの章に分けられている。吉田健一に特徴的なのは、「小説」ではなく「散文」であることで、吉田健一にとっては、小説、随筆、批評などの分類に、あまり意味を感じていないだけでなく、散文の中で批評が最も詩に近いと考えていたようだ。
この考え方は、『金沢』とか『東京の昔』など、吉田健一の書いた小説のユニークさを思い浮かべると、感覚的に理解できる気はする。小説か、批評か、紀行文かといった分類よりも、散文であるどうかが肝要だと考えて、紙に文字を書き進めると、たしかにああいう風になるのが分かる気がする。「小説とは?」という迷路に迷い込むことなく、小説のような、随筆のような、紀行文のような、優れた散文が成されるのだろう。
倉橋由美子が『偏愛文学館』に
と書いた気持ちがわかるようになってきたかもしれない。