『ラブレス』

 観る前に聞いてた情報から予想していた内容とそんなに違わなかった。
 できちゃった結婚から12年、完全に冷え切ってる夫婦が、別れるのはよいとして、子供は?、ってことで押し付けあってる。
 サイテーなんだけど、サイテーさがこっちの予想を超えてこない。
 夫婦がお互いの不倫相手と過ごしている間に子供が失踪する。両親が自分を押し付けあって罵り合ってるのを聞いて泣いてるシーンがあるんだけど、レビューによっては「印象的」と書いているものもあったけど、個人的には「図式的」だと思った。
 両親が子供を押し付けあってるシーンから子供が泣いてるシーンに移り変わる。だけど、子供が聞いてるってことと子供が泣いてるってことは別で、泣いてるのは見せちゃいけないと思った。泣いちゃうと、失踪の意味が限定されちゃう。子供が聞いてるってだけでとどめるべきだったと思う。
 離婚する両親が自分を押し付けあってるのを聞いてる子供ってだけで、これ以上ない悲劇なので、泣く芝居はいらない。
 あの子供の泣くシーンがあるので、その後の男女の心の揺れ方に、観客は批判的にならざるえない。つまり、作り手が観客をそっちに誘導したってことなので、そこで引いちゃうというか、予定調和だなってなっちゃう。
 むしろ、家出人の捜索に、警察よりも、民間のNGO団体が頼りになるっていうのが、いかにもロシアっぽくて(ああ、言ってなかったけど、ロシアの映画です)、ソ連崩壊後のロシアの警察は、一時期ほとんどたかり屋になっていたころがあり、その間に、こんなNGOが成長したのかもしれない。職業的に鍛錬されてて、手慣れた仕事ぶりが興味深かった。
 森の中を捜索していて川にぶつかる。と、リーダーの人が「ここまでだ」と言って引き返す。父親が「川の中は探さないの?」って尋ねると「我々は遺体捜索はしない。それは警察の仕事だ。」っていうんです。
あれはたぶん実際そういう団体に取材したんだと思う。あのNGOの方が主役の男女よりリアリティーがあった。
 結局、子供は見つからず、別れた女の方は、父親くらいの年の男と暮らし始め、男の方は、また、若い女に子供を産ませた。さっきの男の子が泣いていたシーンは、ラストの伏線になっている。わりと好きなシーンだけど、それでも「図式的」だと思った。
 失踪した男の子がどうなったかをもうちょっと煮詰めると、まるで違う映画になりうる。たとえば、女親が殺したって可能性がありうる。失踪の第一発見者だし、失敗だった結婚生活を帳消しにするためにだったらやるかもしれない。男の子の死体は、売ったマンションの壁の中とか。
 あるいは、こんなのはどうだろう。もう、子供の無事は諦めて、ふたりの離婚が成立する。男親が売ったマンションの部屋を一人で片付けていると、そこに、子供が帰ってくる。冬になって、凍えて、飢えて、結局家に戻って来た。父親を見上げる子、子を見下ろす父。で、次のシーン、女は年の離れた男と新しい暮らしを始めている。男は若い女に生ませたこどもと三人で暮らしている。