『吉本隆明 江藤淳 全対話』

吉本隆明 江藤淳 全対話 (中公文庫)

吉本隆明 江藤淳 全対話 (中公文庫)

 江藤淳の「奴隷の思想を廃す」っていう文章を読んで感動したので、この対談集を買って読んでみた。「全対話」と言いつつ、1965年から1988年までの間に、たった5回なのが、かえって、時代の変遷を感じられてよい。
 江藤淳の『夏目漱石』は、ごく若い時に読んで感銘を受けた。でも、昔すぎて、どう感銘を受けたか憶えてないのが残念だけど、それからしばらくして、『小林秀雄』を読もうとしたら、文庫本の字が小さくて、古本で買ったからだと思うけど、昔は、この字で読んでたはずだけどと思いつつも、ちょっと無理だわと放り出しちゃった、まだ老眼にもなってなかったんだけど。正直言って、その頃には、小林秀雄が十分に嫌いになっていたので、気が進まなかったこともある。
 それが、こないだ小熊英二の『民主と愛国』を読んで、「江藤淳面白いわ」ってなって、また興味が湧いてきた。
 「奴隷の思想を廃す」は、芸術至上主義は、芸術の価値とその他の価値に違いを認める態度だから、価値そのものについての思考はそこで停止することになる。「こっちはこっちの価値観があるからほっといてくれ」で、はたしていいのか、そうやって社会の価値から切り離された「芸術の価値」という態度は、芸術を痩せ細らせるだけじゃないのかってことを言っていると読んだ。
 そういう考え方は、一方では、政治とか権力の芸術に対する介入という、暴力の記憶を喚起してしまうわけだが、しかし、それを惧れるあまりフェチズムに閉じこもっていいのかっていう、根源的な問いな訳だった。
 こういう根源的な問いが江藤淳を「右派」に見せてしまうのだろうと思う。一方で、吉本隆明は「左派」と思われてるのかもしれない。しかし、このふたりの対話を読んでいると、そういう左右といった対立項の立て方が、いかにも幼稚に見えてくる。そういうことはどうでもいいと思わせる、視野の高さと広さがこのふたりの対話にはある。
 長い月日のうちのたった5回の対話なので、時代によって空気が違って興味深い。最初の対話はまだ60年代なので、吉本隆明は、武装解除していない気配がする。トゲトゲしいとかいうことではないのだが、どこか気配が鋭い。この頃は、江藤淳の方から「あなたの影響力が大きいものだから、吉本神話のごときものができつつあると思う。」と言っている。そして「その拘束は、ちょうどきつい上着のように、吉本さんという自由な存在を締めつけはじめている。」とも。
 これはまあこの時代の雰囲気として、先日紹介した坂本龍一の回想にもあったように、今からは想像できないほどのものがあったと思う。その雰囲気はこの回の対談には出ているように思う。
 そのあと、1970年に、主に、夏目漱石についての対談、夏目漱石については両者とも著作があるので深くて面白い、それと、勝海舟についての対談、夏目漱石勝海舟は、日本の近代化を考えるときに、見逃せない人格だと思う、この二つの対談があって、1982年の対談になると、1965年とは逆に、江藤淳の方が攻撃的になっている、それがすごく面白い。時代の変遷という観点からも面白いが、攻守が交代しても、いい試合をするってところが面白い。核心を突いてしまうってところがあるんだと思う。
 1982年の対談では、むしろ、江藤淳が政治に関わる仕事が多くなっているのを、吉本隆明が心配して、その時の政策担当者が変われば消えてしまうような仕事じゃなくて、もっと、永続的な価値のある仕事をした方がいいんじゃないかなというと、
「うかがっていて、吉本さんもずいぶん楽観的だなと思いましたね。吉本さんは私の仕事についてつまらぬことにかまけていると言われますが、私の今やっていることはなんら政策科学的な提言などではありませんよ。そんなものに熱中できるわけがない。私はこれが私にとっての文学だからやっているのです。そうでなければこんなに身を入れてやりはしませんよ。ぼくは結局自分が言葉によって生きている人間であることを、日夜痛感しています。だからこそ、言葉を拘束しているものの正体を見定めたいのです。」
 ここからのこのふたりの対話は10ページくらいに渡って全部書き写していきたいくらいだけど、それはもちろんやらない。この時の江藤淳の危機感は、たしかに「文学」だと思う。
「私がなぜこんなことをしているのか、それは結果的にある持続を確かめたいからです。つまりズバリと何か言えばすぐピーンと通るようなそういう公明正大な知的空間を再建したいと私は思っているのです。」
と、江藤淳は言っているんだけれど、今も昔もそんな「公明正大な知的空間」なんてあったの?、と私は思ってしまう。そういう江藤淳の態度はたしかに楽観的ではないけれど、夢想的に見えるがどうなんだろうか。
 吉本隆明が、日本って国は100年くらいでなくなるかもしれないが、人間は100年でなくなることはないだろう、みたいなことを言うと、江藤淳は、100年どころか、日本は80年くらいでなくなってしまうかもしれない。で、その時どうなるか、日本という国がなくなって、人間が残るのか、そうじゃない、残るのは「人種」だと言う。アメリカやヨーロッパでは、実際に国を失くした難民がいっぱいいるが、彼らは「人間」と見られるか?。そうじゃない、まず「人種」として見られる。それから自分たちが「人間」だという証明をしていかなければならなくなるんだと言うんです。
 実際にアメリカでの生活を経験している江藤淳のこの指摘は鋭いが、吉本隆明の論点とはズレてる気がする。で、そのあと、吉本隆明は、少し違う切り口から話を戻していくのだけれど、その辺も読み応えがある。
 ただ、この辺の江藤淳の問題意識は、まっとうな意味で「保守的」と言うべきものだと思う。それでも、彼自身がそう言っているように、これは「文学」だ。それもまた非常に厳密な意味で、それこそ「公明正大な知的空間」の中でそう言えることだろう。こういう鋭敏な言語感覚がこの人を保守的にするんだと思う。
 最後の1988年の対談の江藤淳からは、1982年のときの取り憑かれたような感じは消えている。1965年の吉本隆明の尖った感じとかと同じく、そういう感じは永続しないものなんだ。でも、この対談集は、このふたりの評論家が、いわば「時代と寝た」痕跡がはっきりと残っているっていう意味ですっごく面白い。1965年の対談でも、「他者を受けとめることなしには、やはり複数の思想というのは生じないだろうと思います。」という吉本隆明に、江藤淳は「私も同じように考えるのです。さっきから言ったように、一回ころがされて、その反動で相手を投げる。世間を拒絶しない。そうでなければ、人と共有できるものの考え方はできないというのは本当に同感です。」と応じている。
 こういう言論が生存する言語空間は、たしかになくなっているのかもしれない。少なくとも今のマスコミに、そういう空間を提供する気がないのは間違いないようだし。