『search』は、アジア系の親子が主人公なのと、映画のオープニングからエンディングまで全編PCの画面だけで構成されていることで話題になっているが、実際に観てみると、これがなかなか正統的な作りの推理小説のように、推理小説の場合、フェアとかアンフェアとか言われることがあるが、この映画は実にフェアに作られている。目を皿のようにして観ていたら、ちゃんとヒントが映ってる。
それがまあ、PCの画面に限定されている利点とも言える。アングルが限定されるので、実は、写り込んでるんだが、これがまた、うっかり観てると、ほとんどの人がうっかり観てると思う、それは、映画だけでなくて、普段見慣れているGoogleとかの画面なので尚更なんだが、見逃してしまう。
逆に言えば、PCの画面に限定するって新たな縛りが、古典的とも、本格的とも言える推理ゲームを可能にしたと言えるかもしれません。もし、PC画面っていう縛りがなければ、今更ここまで本格的な、アガサ・クリスティーとか、そんな感じの純粋な推理小説を映画にってならないと思います。最後のどんでん返しにはそう来たかと思いました。PCの画面って新しさに客の注意を逸らしてるって技でもあると思います。
低予算っちゃ低予算でしょうけど、やられましたね。
小林信彦さんなんかが観たらどういうのか聞きたい気がするな。『シックス・センス』のオチを最初のシーンで見破った人だからなぁ。まだ身体が完調ではないのと、全くインターネットをやらない人なので、逆に、これがどう見えるのか。
こないだ文春のコラムを読んでたら、渋谷のシネマヴェーラが気に入っているらしいのだけれど、スケジュールがわからないとこぼしてた。それは、だから、スマホを買えば一瞬なんですけどね。