「被害者の心情=正義」ではない

 韓国での徴用工をめぐる判決が日本政府の反発を招いている。
 それもそのはずなので、「完全かつ最終的に解決された」は、1965年のときも、2005年のときも、日韓両国共同で確認した結論であった。日本が一方的に宣言したわけではない。2005年のときは、文在寅大統領も、当時の盧武鉉大統領の首席補佐官の立場にいて、これに関わっていた。にも関わらず、今回だけではなく、去年の夏にはすでに、就任100日の記者会見でこの問題を蒸し返していた。けして、司法の判断にすぎないとは言えない。

 それにしても、慰安婦問題が盛り上がってたころに、「徴用工問題は解決済みだけれど、慰安婦問題は・・・」みたいな韓国の人の意見も目にした記憶があるのだけれど、あの人たちも今はだんまりを決め込むつもりだろう。そのときどきで、自分に都合のいいことだけわめき散らすという、論理の一貫性のなさは、そのまま倫理観のなさなのである。

 ニューズウィーク日本版に徴用工判決が突きつける「日韓国交正常化の闇」 韓国大法院判決全文の熟読で分かったことという記事があったので読んだ。2人の裁判官の補足意見には
大韓民国政府と日本政府が強制動員被害者たちの精神的苦痛を過度に軽視し、その実像を調査・確認しようとする努力すらしないまま請求権協定を締結した可能性もある。請求権協定で強制動員慰謝料請求権について明確に定めていない責任は協定を締結した当事者らが負担すべきであり、これを被害者らに転嫁してはならない」
とあるそうだ。
 どういう「可能性」があるか知らないが、締結されたのは事実なのであって、法的には「完全かつ最終的に解決された」と両国間で確認している。「被害者」の心情に立てば、確かに、完全な解決などというものはないだろう。しかし、だからこそ、法的な解決が必要になるのだ。「被害者の心情」が正義ではない。

 韓国の司法といえば、思い出されるのは「対馬仏像盗難事件」で、日本の寺から盗まれた仏像が、韓国の寺で発見された際、「これは倭寇に(!)強奪されたものなので返さない」という主張を裁判所が認めてしまった。あれが「正しい」で通ってしまう司法における「正しさ」にお付き合いしてられない。
 韓国は、「和解・癒やし財団」の解散を一方的に決めている。この財団は、日韓両国が合意して元慰安婦の権利回復のために設立したものだったはずなのである。アジア女性基金の時もそうだが、日本の努力はことごとく踏みにじられてきた。
 口先ではいかにも人権派的なことを言っているが、その実、世界を吹き荒れているナショナリズム、それもかなり先鋭的なその一端にすぎない。BTSが原爆Tシャツを着ること自体はともかく、それをめぐる韓国の人たちの論調にはショックを受けた。これはもう、「日本人に対する差別行為」と言っていいと思う。日本では、ヘイトデモがあれば、カウンターデモがそれを圧倒するのにもかかわらず、韓国では、今や、日本人に対する差別行為が、大手を振ってまかり通っているというべきで、この危険な事態を、国際社会に訴えていかなければならないのではないかと思う。