『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』と「社会彫刻」について

 ヨーゼフ・ボイスとアンディー・ウォーホルの大きな違いは、アンディー・ウォーホルは商業主義に乗ることにした。というより、アンディー・ウォーホルは、商業主義をこそアートにした。しかし、どうなんだろう。アカデミズムの権威が地に落ちたいまとなっては、ポップアートの持っていた、商業主義と結託した明るさは、今は鮮烈な印象を失っているのではないか。
 古い権威を破壊できる商業主義の力を、ポップアートは自由と同一視したろうか。商業主義はたしかに権威を破壊した。しかし、それは、アカデミズムとマーケットが、アートを舞台にせめぎあってきた、案外におなじみの戦いの構図にすぎなかったのではないか。そして、アカデミズムを駆逐したマーケットが、今度はアートの自由を侵し始めていないか。
 プロダクションノートによると、アンドレス・ファイエル監督は、ある芝居の脚本のために金融危機についてリサーチしていた10年ほど前、ベルリンのハンブルガー・バーンホフ美術館でヨーゼフ・ボイスのビデオを偶然目にした。そのなかで、ヨーゼフ・ボイスは「お金は世の中を駆け巡りはするものの、生産活動からはかけ離れている」と語っていたのだそうだ。この映画の中でも似たようなシーンが出てくるから、それなのかもしれない。

 30年以上も前に亡くなっている芸術家の言葉が今でも衰えていないことにショックを受けて、俄然、ドキュメンタリー映画の制作に乗り出した。300時間以上の映像、300時間以上の音声、50人の写真家による2万枚近い写真、60人以上の証人や知人を探し出し、その中から25人ほどのインタビューを撮影した。
 当初の予定では、正統的な伝記映画にするつもりだったそうだが、編集するうちに、ヨーゼフ・ボイス自身のアーカイブ映像の強さに圧倒されて、最初、30パーセントくらいのアーカイブ映像を使うつもりだったのが、出来上がってみると、95パーセントがアーカイブ映像になっていた。
 坂本龍一がコメントを寄せている。
「よけいな説明が少なく、しかも洗練されたサウンドデザインが施されていて、よいドキュメンタリーは、それ自身がアートだと思う。

今まで知らなかった、ボイスの繊細さ、傷つきやすさと真剣さ、夢想家と理性の人という両面を知ることができた。そして「傷」というのがボイスの芸術を解く鍵ではないかということも。

資本主義が終焉を迎えている今、その先を見据えた経済・芸術を唱えたボイスの思考を知る、格好のドキュメンタリーだと思う。」
 フィオナ・タンという映像作家がいる。と言っても、作品は映画館ではなく美術館で観る、そういう映像作家。単独で美術館で展覧会を開くことのできる映像作家はそんなにいないと思うが、私は、この人の展覧会は観に行ったし、今後も観に行きたいと思う。そのフィオナ・タンが、ある作品の中で「彫刻は動画だ」と言っていた。なるほど彫刻だと思って動画を撮ってるんだなと思うと、この人の動画が持ってる力強さの秘密が垣間見える気がした。
 そのことをこの映画で思い出したのは、ボイスの「社会を彫刻する」という言葉。この映画全体(何しろ95%がボイスの映像なんだから)が、ボイスの彫刻作品と見ることができると思う。脂肪やフェルトという形の安定しない素材を用いた彫刻作品が、やがてパフォーマンスという動画へ発展してゆく、「社会彫刻」という言葉は、ボイスがそのプロセスに自覚的だったことを示している。彼の動画は何かを写しているのではなく、彫刻している。形のないものに形を与えている。まさに社会を彫刻しているのだ。

 ヨーゼフ・ボイスは、撹乱し、挑発する。正邪、善悪、勝敗の決着を簡単にはつけさせない。この映画を観て、その挑発は今でも有効だし、むしろ、いまこそ有効だと思った。

 ヨーゼフ・ボイスニュートラルなときの表情は、どこか、明石家さんまに似ている。
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 すごいスピードで頭が回っているひとの顔だと思う。アンドレス・ファイエル監督によると、ヨーゼフ・ボイスは朝の5時くらいまでしゃべり続けていて、電話がかかってくると「今、忙しくて話してる暇がない」と言ったそうだ。まさに、「お笑い怪獣」ならぬ「アート怪獣」。

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 少年ぽいということなのかもしれない。攻撃的、挑発的な時でも、どこか茶目っ気を感じさせる。ワタリウム美術館で、ナムジュンパイクの展覧会を観たが、パイクが、ダダとフルクサスの違いについて、「フルクサスの方が面白い」と。笑いは、ヨーゼフ・ボイスに本質的な資質だったと思う。その辺の凡百の現代アーティストたちの「現代アートですけど何か?」みたいな、逃げと言い訳に満ちたパフォーマンスとは全然違う。ワクワクするし、面白い。時にはちょっとやばい。

 もうひとつ思いついたことを書いておくと、映画の中でヨーゼフ・ボイスがチョークと黒板を使って講義する場面がでてくるのだが、ワタリウム美術館で観たルドルフ・シュタイナーの黒板を思い出さないわけにいかなかった。ヨーゼフ・ボイスはたしかにルドルフ・シュタイナーを意識していたのだろう。

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 この映画はいまのところ上映館が少ないのが残念。私は、横浜シネマリンで観たが、関東では、そのほかに、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺だけみたい。ぜひおすすめしたい。

映画『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』公式サイト