『マイ・ジェネレーション』、マリー・クワント、ヴィダル・サスーン、ビートルズ

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マイ・ジェネレーション

 この映画の案内役、マイケル・ケインが老作曲家を演じた『グランド・フィナーレ』(原題『Youth』)はすばらしかった。まだご覧になってない方には是非おすすめしたい。

 今回の映画『マイ・ジェネレーション』は、しかし、このイギリスの老優が、映画の魔法で、デビューしたばかりの60年代にもどって、「スウィンギング・ロンドン」、「スウィンギング’60s」と呼ばれた当時のロンドンを案内してくれる。まるで、大瀧詠一の「1969年のドラッグレース」みたいに、アクセルをすこし踏み込んで。
 60年代のイギリスといえば、何といってもザ・ビートルズ。文字通り、世界を席巻した。高嶋ちさ子のお父さんが呼んで日本にも来た。というわけで、どうしてもビートルズだけに目を奪われがちなのだけれど、この映画のなかで誰かが言っていたけれど、「ロンドンがビートルズを生んだのであって、ビートルズがロンドンを生んだのではない」というのが、半世紀の隔たりを経て眺めてみるとたしかによくわかる。

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 Mary Quantの髪を、Vidal1 Sassoonが切ってる。ってこう書くと、21世紀の今では、一瞬、何を言ってるかわからない。でも、60年代のロンドンではそのふたつの名前は、いままさに、センセーションを巻き起こしつつあるふたつの顔だった。
 ヴィダル・サスーンについては、ここの美容師さんが詳しく書いているのでリンクを張っておきます。
 
www.takumaiwata.com

 Mary QuantのファッションとVidal Sasoonのヘアカット、結局、今に至るまで、誰もそれを超えていないと思う。もし、何の制約もなく、おもっきり自由におしゃれに、と考えたら、この人たちが頭に浮かぶのではないだろうか。ちなみに、マリー・クワントの大規模な回顧展が2019年の4月から2020年の2月まで、イギリスのヴィクトリア&アルバート美術館で開催されるそうだ。

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 これは、デビッド・ベイリーが撮ったジョン・レノンポール・マッカートニー。私の知っているかぎりでは、ビートルカットといわれるこの髪型は、アストリッド・キルヒヘルの発案だったはずだが、こうして当時のロンドンのファッション・シーンを目の当たりにすると、奇をてらったんじゃなくごくごく自然な提案だったと納得できる。プレスリーの真似をしてポマードでリーゼントに固めていたハンブルグ時代のビートルズをアストリッド・キルヒャーが写真に撮っている。

Astrid Kirchherr With the Beatles

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Astrid Kirchherr: A Retrospective (Victoria Gallery and Museum)

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メジャーデビュー前のキャバーンクラブ時代のビートルズを「わたしのビートルズ」と思っていたコアなファンがいたことは事実だし、そのころのビートルズの輝きを想像するとワクワクしてくるのだけれど、ブライアン・エプスタインが世界戦略としてスウィンギングロンドンを選んだのは当然だった。一瞬、シェイスタジアムの映像が挟み込まれたけれど、彼らはスウィンギングロンドンも一緒に連れてきたのだ。ロンドンの方がアメリカよりもずっと若かった。そういう時代があったということに、あらためて驚嘆する。

 この映画の中でも、ジョン・レノンベトナム戦争について発言するシーンが少し出てくる。ポール・マッカートニーはすこし穏健な発言なんだが、このあたり、ジョン・レノンはイギリス人で、ポール・マッカートニーアイルランド人なんだなぁと。もちろん、ベトナム戦争に批判的でない人なんていなかった時代なんだが、イギリス人とアイルランド人では発言の仕方が変わってくるんだと思う。
 ちょっと映画の話からそれるけれど、ビートルズのメンバーは一度だけ、エルビス・プレスリーに会っている。ビートルズのメンバーはプレスリーが好きだったけれど、プレスリービートルズが嫌いだった。たぶん、プレスリーにはビートルズが彼の亜流に見えたはずなのだ。たしか、ジョン・レノンはのちに、「エルビス・プレスリーは軍隊に入った時に終わった」と発言したと記憶している。
 ロン・ハワード監督がビートルズのツアーを追った「THE BEATLES EIGHT DAYS A WEEK THE TOURING YEARS」にはでてくるけれど、1966年には、有名な「ジョン・レノンのキリスト発言」という事件があった。Wikiを調べてもらえばいいのだけれど、一応引用しておくと
キリスト教は衰えていくだろうね。消えて縮小していく。議論の必要はないよ。僕は正しいし、そうだとわかるだろう。今では僕たちはキリストより人気がある。ロックンロールかキリスト教、どちらが先に消えるかは分からない。キリストは良かったけど、弟子は鈍くて平凡だった。僕にとっては、弟子が歪めてしまったせいでダメになったんだと思えるね。」
というインタビューでの発言だった。イギリスでは「あはは」くらいの反応だったらしいが、アメリカでは大騒動になった。KKKがビートルズのレコードを集めて燃やす、文字通りの「炎上」騒ぎになった。
 でも、改めて思うのは、この発言は、ただの冗談ではなくて(まあ、冗談であってもかまわないのだけれど)、60年代という時代をよく表している。「ROMA」について書いたときに、マルグリット・ユルスナールが、フロベールの書簡集のなかに見いだした、忘れがたい一句、
キケロからマルクス・アウレリウスまでのあいだ、神々はもはやなく、キリストはいまだない、ひとり人間のみが在る比類なき時期があった」
は、1960年代にも当てはまるような気がすると書いたのは、ジョン・レノンの発言にもあらわれているこの気分はそんなに突飛なものではなかったのだろうと思えるからだ。マルグリット・ユルスナールが『ハドリアヌス帝の回想』を出版したのは1951年だった。神と現人神の国で戦われた2つの世界大戦が終わった後、まだ神々はなりをひそめて、そのころの若者はひとり人間として立っていたのではないかと思う。
 比類なき時代の比類なきロンドン、おそらく、ジョン・レノンのように口には出さずとも、自分たちはキリストよりカッコいいと思っていたはずだ。そうでなければミニスカートなんてはけますか?。

 ロンドンの女の子たち。マリー・クワント自身がキュートだけれども、デビッド・ベイリーの彼女だったジーン・シュリンプトン。

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Jean Shrimpton


 日本の「カワイイ」の原型はこの人だと思った。Twiggyがこの時代のアイコンになっていく感じはあるけれど、Twiggyの目の大きさと体の細さは、すこし観念的すぎるとさえ感じる。しかし、スウィンギング60’sと日本の「カワイイ」が共有しているのは、フラットであることで、それは、神の視点の排除だと私には見える。神だって、人間の想像に過ぎないじゃないですか。だったら、神の権威を吹聴して回ってるやつより、自分は神より人気があると思ってるやつの方が断然カッコいいいと言いたいだけです。

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twiggy