萩原朔太郎もコカインやってるぞ。

 『猫町 散文詩風な小説』に

 日本で入手の困難な阿片の代りに、簡単な注射や服用ですむモルヒネ、コカインの類を多く用いたということだけを附記しておこう。

と書いてます。もう少し長く引用すると

 久しい以前から、私は私自身の独特な方法による、不思議な旅行ばかりを続けていた。その私の旅行というのは、人が時空と因果の外に飛翔し得る唯一の瞬間、即ちあの夢と現実との境界線を巧みに利用し、主観の構成する自由な世界に遊ぶのである。と言ってしまえば、もはやこの上、私の秘密について多く語る必要はないであろう。ただ私の場合は、用具や設備に面倒な手数がかかり、かつ日本で入手の困難な阿片の代りに、簡単な注射や服用ですむモルヒネ、コカインの類を多く用いたということだけを附記しておこう。そうした麻酔によるエクスタシイの夢の中で、私の旅行した国々のことについては、此所に詳しく述べる余裕がない。だがたいていの場合、私は蛙どもの群がってる沼沢地方や、極地に近く、ペンギン鳥のいる沿海地方などを彷徊した。それらの夢の景色の中では、すべての色彩が鮮かな原色をして、海も、空も、硝子のように透明な真青だった。醒めての後にも、私はそのヴィジョンを記憶しており、しばしば現実の世界の中で、異様の錯覚を起したりした。

 小説と言ってますけど、「蛙どもの群がってる沼沢地方」は、詩集『定本青猫』にある「沼沢地方」の

蛙どものむらがつてゐる
さびしい沼澤地方

でしょうから、この主人公が詩人自身である事は言うまでもありませんが、そんなこというより、萩原朔太郎がコカインを常用してたとして、別に驚くことはないでしょう。『月に吠える』なんて、そう言われれば、ドラッグカルチャーですね。「竹」なんて

光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。

どうした?、しっかりしろ!みたいな。

 北原白秋だって『邪宗門』の頃はやってたと思います。

さて在るは、さきに吸ひたる
Hachisch の毒のめぐりを待てるにか、
あるは劇しき歓楽の後の魔睡や忍ぶらむ。

と「赤き僧正」にあります。

で、何が言いたいかというと、麻薬をやってる人の作品は全部回収して廃棄処分、この世から抹殺してなかったことにしますってことをやる意味ありますか?ってこと。

 大麻取締法って法律を犯しましたってなら、その処罰は司法の判断に委ねればよい。というより、委ねなきゃいけないのであって、それを、逮捕即作品封殺みたいなリンチに走ることが、真っ当なことだと思いますかってこと。