『主戦場』みました 補遺

 映画『主戦場』について書いた時、参照していた記事は、ニューズウィーク日本版とAERAのものだけで、以下の毎日新聞のインタビューに気がついてなかった。それで、ちょっと更新てみたけれど、しきれない分を新たに書くことにした。ちなみに、毎日新聞の記事によると、秦郁彦氏のインタビューがないのは、何度かのやりとりの後に、断られたからだそうだ。やはり、あの部分が気にかかるのは私だけではなかったみたい。

mainichi.jp

 日系アメリカ人が、インタビューだけで慰安婦問題を切り取るって映画の撮り方は、本質的な部分で興味深く、少々のキズはあっても観る価値があるには違いない。
 ただ、これは繰り返しになるけれど、最後まで公平なスタンスを貫いたほうが、映画としても、問題提起としても、もっと力を持てただろうと思う。
 上の毎日新聞の記事を読むまで気がつかなかったが、「歴史修正主義者」とかテロップを入れちゃダメ。それをやると映画の公平性にキズがつくんです。なんで、そういうことするかな?。
 それから、秦郁彦に断られたのは仕方ないとして、西岡力には、「他の人と言ってることが一緒だからやめた」って、それもダメ。

 上の二点は、突っ込もうと思えば突っ込めるって脇の甘さだが、インタビューを読みながら、ハタと気がついたのは、ミキ・デザキは、日系アメリカ人なのに、同じく日系アメリカ人で、グレンデール慰安婦像設置に反対した人たちのインタビューを取ってないね。

 よく考えると、この点は、上の二点よりさらに大きな欠点であるかもしれない。自分が帰属するコミュニティーには、インタビューすらしないってのは、いただけないかも。結局、上から目線で他人事に口を出してるにすぎないってことだから。

 しかし、この前の記事でも書いたように、そういうキズがありつつも、これに関わっている人たちのグロテスクさを浮き彫りにしているって点で、観る価値がある。だからこそ、小さな瑕疵が残念なんだが。

 後半、慰安婦問題から、日本会議に焦点がズレていく(あるいは、焦点が合ってくる)のだけれど、彼らが日本の宿痾であることがよくわかる。それを視覚化したことに、むしろ価値があるというべきかもしれない。が、結果として、慰安婦問題をめぐる議論の焦点はぼやけた。

 ところで、杉田水脈など、なかなかのもの凄まじい発言が刺激的なせいで、「極右のトンデモ発言満載」みたいな観方をしているレビューもあるが、対する左側も、たとえば、朝日新聞が記事を撤回した今だからまあいいやということになるが、「20万人」の根拠について、「女たちの戦争と平和資料館」の渡辺美奈が、その算出根拠を語っている部分には唖然とした。「20万人」は彼女の推測に過ぎなかったようである。そういうのって推測で言うべきことなんだろうか。

 こんな具合に、公平な視点で見ると、かなり笑える。安倍首相も含めて、全員がちょっとずつどこかおかしい。しかし、そのおかしさには、それぞれに背景があるってことが、ほの見えるところもある。惜しむらく、ミキ・デザキ監督が日系アメリカ人に、つまり、自分自身が帰属する社会にまでカメラを向ける勇気を持っていたら、それはもっと深いところまで踏み込めたはずなんじゃないかと想像する。もっと上質な笑いになっていたんじゃないかと思う。

 ところで、シアター・イメージ・フォーラムは、いつのまにかネットで予約できるようになっている。むかしは、あそこはたどり着いたら大行列ってことがよくあって、何となく足が遠のいていた。ネットで席が確保できれば、遠方からでも気軽に来やすい。