ジュリア・ロバーツとルーカス・ヘッジズが母子を演じる『ベン・イズ・バック』、横浜美術館のひとブロック隣にある「KINOシネマ」という映画館で。「kino」はドイツ語で映画館の意味のはず。伊東静雄に「新世界のキィノー」という詩がある。
ルーカス・ヘッジズは『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『スリー・ビルボード』と、立て続けに作品に恵まれた。今は、この『ベン・イズ・バック』と、それから、まだ観ていないが『ある少年の告白』では、ラッセル・クロウ、ニコール・キッドマンと親子を演じている。
とくだん、美男子という風には見えない。むしろ、フツーに見える。それが貴重なんだと思う。『グッドウィルハンティング』のころのマット・デイモンとかを引き合いに出すべきなのかもしれない。
この『ベン・イズ・バック』の監督は、ルーカス・ヘッジズの実父で脚本家のピーター・ヘッジズ。この人の脚本がすごくうまい。こないだ『日本のいちばん長い日』を観たばかりなんだが、あちらは終戦を明日に控えた緊迫した一日の映画だったが、こちらは、薬物依存の更生施設を抜け出してきたベンが、家族と一緒に過ごすクリスマスイブの一昼夜。家族にとっては地獄めぐりの夜というところか。もちろん、ベンにとっても。
はじめ、ルーカス・ヘッジズは父親の映画に出るつもりはなかったそうだが、ジュリア・ロバーツが、ベンの役をぜひルーカスにと直訴したらしい。
ベンは薬物依存症でいまは更生施設でくらしているが、クリスマスイブを家族と過ごすために帰ってくる。しかし、家族で教会にでかけている間に、家が荒らされ、飼い犬がさらわれる。町で、むかしの仲間に姿を見られたベンは、仲間の仕業だと思い、夜っぴて心当たりを訪ねて回る。同行する母親は、かつて息子がどんな地獄にいたかを今更ながらに追体験する。
少年が薬物依存に苦しんだ長い月日を、たった一夜の道行き浮き彫りにする、この脚本があざやか。夜が深まりだんだん明けていく、その経過と展開がひびきあっているのもいい。
昼間は良識的な顔をしている男が、夜には卑しい顔をのぞかせたり、昼間は悲嘆に暮れている女が明け方には強くなったりする。
この映画のベンはスポーツによるケガの鎮痛剤から薬物依存になった設定になっているが、しかし、単に好奇心から手を出したとしても、10代の若者を責められないと思う。
この映画を観た後、登戸で小学生の殺傷事件が起きた。犯人は、80代の伯父伯母の家に引きこもっていた50代の男性だったそうだが、報道される写真は中学生時代のものなのが印象的。おそらく、それ以降のものはないのだろう。
「電車で席を譲らない日本人」という記事がバズったことがあった。そのときに書いたかもしれないし、書かなかったかもしれないが、日本の国全体から、共同体の意識が急速に消えつつあるのは事実なんだろうと思う。たしかに、「席を譲らない」のがフツーになっている。席を譲ろうとしても断られるか、それだけでなく怪訝な顔をされたりもする。たぶん、今の世代のご老人たちには、「老人だからといって席を譲ってもらう権利はない」という意識があるのだろう。
それには、そのさらに前の世代の老人たちが彼らに対して「としよりに席を譲るのが当然だ」という態度をとっていた、その反発があるのではないかと考えられるかもしれない。つまり、そうした儒教道徳はきわめておぞましいもの、いまわしいものとして、単に思想としてだけでなく、戦災の記憶を伴う体感として、徹底されているからだろうと想像する。
だが、その強すぎる副作用として、他者とのコミュニケーション全般を断絶してしまったのではないか。長すぎた高度成長と相まって、個人の公共心をはぐくむようなコミュニティーの必要性が顧みられなかったのではないか。戦争の記憶の苦汁から儒教道徳を否定した結果、民主主義の母体となるはずのコミュニティーが育たず、かえって、個人と国家が直結するファシズムへと意識が傾いてしまったのだとしたら、何ともやるせない。
立川志らくが「死にたいなら一人で死んでくれ。」とコメントしたそうで話題になっているが、事実、今も年に二万人くらいの「死にたい」人が「一人で死んで」いる。「人生に敗れて死ぬことに決めたんだから、一人で死ぬんだろ?、そうすりゃいいじゃん」と、人は思うわけ。ごもっともすぎる。
電車で席を譲ろうとしても「譲ってもらう理由ありませんから」。正論すぎる。しかし、そういう正論の総体が結局、孤独なモンスターを生み、そのモンスターが刃物を持って向かった先が、いかにも「勝ち組」の子供たちが通うらしいカリタスなどという名前の小学校であったりするのは、偶然とはいいがたいのではないか。
『ベン・イズ・バック』のベンを、最終的には救い、抱擁するコミュニティーのやさしさを日本社会はもっているだろうか。ベンも、日本にいれば、登戸殺傷事件の容疑者のようにモンスターになるしかなかったのではないか。「一度落ちた人間は這いあがれなくて当然だろう?。一人で死んでください」それが、結局、日本社会の正論なのではないか。